底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

十二月になりましたね雑談

 

十二月になりましたね。またまた雑談の日がやってきた。イェーイ!一ヶ月に一度ブログのことがそんなに苦でない日。肩の力を抜いて書けるの本当に助かる、日中もブログのことあまり気にしなくていいし。さて今月は何を書こうかしらね。やっぱり年末であることか?うーん筆が進みそうにないな…。年末だからって特別なことは何もないし。どんな季節でもどんな時期でも私にとってはただ仕事してブログ書いて不眠症もどきと厨二病を拗らせた毎日があるだけ。変わらない日常がいつもここにある。へへ。いい響きだな。

 

 

 

十一月は十月に同じくなんとか持ち堪えたという感じですね。結局また五回も執筆を休んでしまいました。もうこれが私の最適な休みの頻度なのかもしれません。今月もそのくらいになる予感が既にある。ブログを始めた当初は確か一日も休むことなく書いてたのにな。まぁそこから「やる気」という一時的な動力がなくなって落ち着いたってことなのかな。ブログを書くのはやはり私にとって苦しいものである。もちろん他の誰かから強制されているわけではないという意味で、自らに望んでやっていることだけれど、やはり依存的な、書かずにはいられない側面が強いのは否めない。書かないでいる自分を認められるなら、たぶんもうとっくに書いていない。

 

 

 

この頃色々なことの諦めがつくようになってきた。なんというか以前ほどダラケている自分が嫌いではない。自分のことについて多くを許せるようになった感覚である。ブログさえ書いてくれるなら、という条件はついてるものの、ただスマホをいじっているだけの自分も、ただめんどくさくてやるべきことから逃げているだけの自分も、別にそれほど気にならなくなった。年齢のおかげ(せい?)なのかは分からないが、自分としてはだいぶ楽になったので助かっている。歳をとるというのは、つまりそういうことなのかもしれない。良い風に言えば、自分とうまく折り合いがつけられるようになっていく。悪い風に言えば、自分に見切りをつけて捨てられるようになっていく。要するに歳をとればとるほど、人間であるところの自分自身を深く理解できるようになるのだろう。自分の願望や拘りや信念の身の丈に合った体現の仕方をどんどんと知っていって、若い頃の自分からしたら妥協の繰り返しでダサいなと感じられるような生き方を、臆せずに生きられるようになっていくのではないだろうか。そこには大人だけに分かる、独特なかっこよさがあると思う。

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