底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

意志による決定をしよう

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何かに対しての反応を人は二種類持っている。一つは反射だ。それをされると咄嗟に自分でも意図せずしてしまうことである。もう一つは意志による決定。そうされたことをうけ、自分なりの基準と思考を経た後に返しをする。二つはグラデーションのようになっており、現実においてキッパリ分かれているわけではない。どの行為にも二色混在しており、ただ一方が色濃く現れたりする場合があるというだけである。反射はより早く返しができる。意志による決定は時間はかかるが自分にとっての確実性が増していく。即ち、時間に余裕がない時は前者の方がよく、時間にたっぷり余裕がある時には、後者の方がよりよいということだ。

 

 

2

反射はいわばただの現象である。そこには是非や正誤はなく、どれもこれもただそうであることしかできなかったものだ。どう反射するかなど本人に選べるものではないのだからこれは当然である。選べたのならそれはもはや反射ではない。人は自身の反射の仕方を決して選べない。選べないけれど、しかし反射それ自体を減らしていくことはできる。なぜなら人には予測という力があるから。予め状況を想定しておき、それに対して自分自身どう立ち回るかを事前に決めておける。すると、現実はもう頭にある筋書きに沿っているだけになるので、それはもはや全く反射ではなく、自身の意志による決定だと言うことができる。

 

 

3

反射に人生を委ねていても、当たり前だがうまくいくのは難しい。自分のコントロールできない領域に自分を委ねれば、それはもうただの運ゲーだ。反射の多くは自己防衛である。熱湯に触ってしまって急いで指をひっこめるような、そんな動きばかりだ。つまりはいつもその場しのぎで、そこから何も生まれることがない。それに反射はいつも受動的で物事の後をいく。対して意志による決定は予測をしているので物事の先にあり、物事の方にこちらから働きかけることができる。この後と先の違いはとても大きい。後手に回るしかないのと、先手を打っておけるのと、どちらの方が有利かなどもはや言うまでもない。

 

 

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反射は事態が予測の穴を抜けた時の最終手段なのだという捉え方をぜひ提唱したい。まずは予測、そして、できるだけ自身の意志による決定を行う。それでも不測の事態に見舞われた時にだけ、咄嗟の方法として反射を使い自分を守る。せっかく予測ができる動物に生まれたのだし、生かさない手はないでしょう。それで自分の人生がよりよくなるのだから尚更なはずだ。自分自身の意志で人生を歩めばこそ、道は開けるのである。

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