底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

常に選択をしよう

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人は毎日たくさんの物事を選ぶ。様々な基準で様々な物事を選び、自分自身の生活を送っている。どれが自分の好みか、どれが自分にとって都合がいいか、どれが自分の将来に役立つか、どれが自分の生涯の幸せに直結しているか。様々あれども、要するに全ては「どれが自分にとってよりよいか」だ。誰だってそうである。人はそもそも自分にとって良いことしか選べないようにできている。もし何か悪いことを選ぶのだとしても、それはそうする方が自分にとって良いからだ。しかし、そうは言っても人は間違えることがある。それは現実が難解で厳しいからだ。好みや都合ならまだしも、将来や幸せなんか、簡単に見通せるわけない。一体目の前のどれを選べばより良い方へと抜けられるのか、易々と分かるのなら誰も苦労はしない。

 

 

2

だが、はっきりとは分からなくても思考をすることはやめてはいけない。やめればやめた分だけもっと遠ざかるだけである。何が自分にとってよりよいのか、常にその問を放棄せず、考え抜いた先にこそ自分の理想の人生が開ける。よりよい選択をしたいと思い日々を生きることで、常にその視点から人生を見られる。理想に近づくには結局、そうして少しずつ試行錯誤を経て、少しずつよりよいを積み重ねていく他ない。

 

 

3

世の中も同じだ。世の中とは所詮一人一人の人間の集まりなのだから、これは当然である。よりよい人生を歩みたい。その意識の集合がよりよい世の中をつくっていく。選択とは何かを選ぶことだ。それはつまり反対から言えばその他を捨てることだ。その捨てられるということに大きな意味がある。多くの人があるものをいらないものとして捨てれば、やがてそれは自然に淘汰され消滅するであろう。つまりは、皆がよりよい選択をし続ければ、悪いものは放っておいても、そうやって勝手にいなくなるのだ。

 

 

4

現にある悪いものを何とか対処しようとして、余計に悪化させる場合も少なくない。悪いものは時として非情に切り捨てるのが最善なのである。純粋によりよい方へと足を進める。その勇気を持つ必要がある。選択は自分自身の意志の形であり、自分という人間を表すアイデンティティでもある。大事にしなくてはいけないものだ。いや、しなければ、それ相応の人生が待っているだけである。別にそれでいいなら、それでもいい。でももしそうでないのなら、やはりもっと貪欲に慎重に取捨選択を行っていくべきだ。何をその手に残し、何を捨てていくのか。一つ一つを十分に検討し、最後には自分がよりよいと信じた方へと、勇気をもって歩みを進めよう。

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