底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分を愛すために世界を愛さなくちゃならない

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人間が狂うのはいつだって自己愛が破壊された時である。自分の理想とする自分と現実の自分があまりに乖離した時、人はそれに耐えきれず理性を失う。理想の自分に近づくためのあらゆる努力を放棄し、理想の自分にしてくれない世界の方を恨み否定するようになる。自己愛を直接満たす術がもうないから、世界を否定することで間接的に自己愛を満たそうと考えるのである。けれども、もちろんそれはそうすればするほど虚しい結果を招くだけだ。瞬間的な快楽として満たされることはあっても、中枢はいつも冷たく死んでいる。

 

 

2

しかし一度狂った人間はそう簡単には正常へと戻れない。いや、もう二度と戻れないとさえ言ってもいい。自己愛を破壊された恨みが晴れることは決してないからだ。あるとすればそれは破壊された事実を本人が忘却した時だけである。だから狂った人間がそれでもかろうじて正常な人間の皮を被って生きていくためには、結局どこかでその虚しいを行為をして、狂いを発散させなければならない。人にはそれを狂いと悟らせないような発散の仕方で。例えば、今私はまさにそれをやっているところだ。何かを書いて、それを不特定多数に見せるということは、私にとって世界の否定行為そのものである。

 

 

3

破壊され乾き切った自己愛は常に膨張し拡大を繰り返す。それはやがて世界と同じ大きさに到る。一度狂ってしまった人間は、もはや世界をどうにかすることでしか、自己愛を満たす術はないのだ。世界をどうにかするとはもちろん、自分の理想とする世界を作り上げるのである。そのために自分のできる限りを尽くすということだ。つまりは一周してここで正常な人と合流する。正常な人間が自分の自己愛を直接に満たすような努力をするのに対し、狂った人間は自分の理想とする世界を叶えるこためにこそ努力をする。それは一見しただけでは全く見分けがつかないだろう。だが、本質は驚くほどに違う。

 

 

4

狂った人間が再び自己を愛すためには、もはや世界を愛なければならない。それは途方もないことである。しかし、現実を見据えるならやはりそれしかない。簡単に嫉妬したり手軽に復讐するだけでは、瞬間的な快楽にしかならず、根本的解決には向かわない。せいぜい影響しても周りの数人だけである。徹底的に嫉妬し、徹底的に復讐をしなければならないのである。自分の自己愛を満たしてくれる世界に改変するほどの徹底ぶりで、全てを行うのだ。自己愛が破壊された世界で、それでも自己愛を持つべく立ち上がろうじゃないの。だって、悔しいじゃん。ねぇ。

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