底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

芸術の感想って正解ある?

1

芸術を鑑賞して何を思うべきなのだろうとよく考える。そこには客観的な正解があるのか、はたまた自分で感じたものをそのまま味わえばいいのか、実のところよく分からない。どちらを考えてみてもあまりしっくりこないのである。あ、作品によるだろというのはなしでね。よらないところをまさに今考えているので。好みで言えば、私は完全に各々が好き勝手に感じればいいと思う派である。だけど、たまに同じ作品を鑑賞した他人の感想で、あぁこの人は私よりもずっと深くこの作品を捉えられているなと思うようなことがある。そんな時は自分は何も分かっていなかったんだなと酷く反省し、正解を知りたい気持ちに駆られるのである。また逆にどう鑑賞すればそんなに悪意のこもった解釈になるんだ?と思うようなこともある。端的にその人の感じたことを不正解だと口にしたくなるけれど、しかし各々が好き勝手に感じればいい派をやるなら、当然文句は言えない。

 

 

2

芸術は曖昧だ。その曖昧さに救われている人はきっと多いと思う。好きに感じられる余白があるから、自分自身の人生や経験をそこに重ねることができる。しかし、その曖昧さの中にはやはり芯があると思う。なぜその表現の仕方なのか、その表現によって何を見せようとしているのか、少なくとも作者は考えたはずであるから。私はその芯の部分を読みとれるようになりたいと思いつつ、でもやっぱり自分が素直に感じたものも大切だと思いつつ、どちらでいるべきなのか、ずっと答えを出せないでいる。

 

 

3

なんというか世の中って、正解が本当にあるのか、あるのだとしてそれを追い求めるべきなのか分からないものが多すぎませんかね。例えば料理の味やファッションなんかもそう。料理研究家やファッションコーディネーターという職業あるのだから、そこには正解があるように見える。けれども、結局は自分が美味しいと思えるものが一番だし、自分がしたいファッションをするのが一番とも思えたりする。どちらがより正しいのか、何を基準に決めたらいいのか、やはり全然分からない。

 

 

4

感じたものがそのまま正解だったらいいのに、という怠惰な考えが脳裏をよぎる。どうして感じたものと正解の間にはズレがあったりするのだろう。自分の感性がゴミだからか?うーん否めない。だとしたら、感性がを磨くのが正解だと言えるのかもしれないな。感じるべきところを最初からそのまま素直に感じとれれば、もうこんなくだらない葛藤が発生する余地もない。もっと無邪気に色々なことが楽しめるようになるかもしれない。

f:id:kabiru8731:20240512011214j:image