底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自信とは信じられる「自分がある」ということ

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他人が自分の人生を歩んだとしても、きっと自分のようには生きられない、そう思うことが自信の正体なのではないだろうか。こんな環境で暮らせば「普通は」こうなる、でも自分はそうはならなかった、頑張って努力して違う道を歩めた。自信とは読んで字のごとく、自分を信じられるということだ。信じられる自分があるということだ。この時「信じられる」は実はただの前座で、「自分」と呼べるものがあることが、自信においては最重要なのである。

 

 

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他人が自分の人生を歩むと想像することは、つまり自分の人生から自分を分離させる行為である。その分離された自分の方に残るものがあると思えるかどうか。人生で出会う偶然に影響され流されるだけではない、運や環境に左右され得ない何かがあると思えれば、その人はもう自信を持てるすぐ手前まで来ているのだし、逆に何もない、自分の人生から自分を分離させれば、自分の側には塵一つ残らないと思うのなら、その人が自信を持つにはまだまだ道のりは長いと言える。信じられるかどうかは一旦置いとくとして、とりあえずそこに自分と呼べるものがあるかどうか。これが自信の構造的に必要不可欠な第一歩である。その後で信じられるかられないかの問題になるけれど、こちらはもうほんのちょっとした考え方で変わる些事である。

 

 

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自信を持つためにやるべきことは、自分を強く信じることではない。まずは自分と呼べるものをつくるところからである。無をどんに強く信じてもただ無であるだけだ。第一に信じられれば輝くようなものがなくちゃ何も始まらない。自分の人生から自分を分離させても、自分の側に残るはずだと思えるようなものを手に入れなければならない。それはつまり人生を内側から生きるということだ。どんな人生を歩むことになったとしても、これだけは絶対に変わらない。そんな不変の槍を一本、自分の人生の内側から世界へと突き刺すのである。

 

 

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他人が自分の人生を歩んだとしてもきっと自分のようには生きられないとは、言い換えれば、自分が他人の人生を歩むことになっても自分らしく生きられるということ。この「のように」とか「らしく」とか、そういう言葉に含意されているものが、つまりは自信である。あらゆる別の人生の可能性を考慮し、それでもなお、折れたり曲がったり飛んで行ったりすることのない強かな一本の槍が、自分にとってはなんなのか。それを見つけられれば、自信なんてものはいくらでも後から湧いて出てくるのである。

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