底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

閃く以上に楽しくて不可思議なことはない

閃くという謎

生きていて一番楽しい時、それは突然にどこからともなく何かを閃く時である。急に頭の中に声が流れてくる瞬間、心の底から感動を覚える。え、これが神のお告げですか?とはまぁ流石にならないけれど、でも神以外の言葉でその声の正体をうまく説明できるような気もあまりしない。なぜ閃くことができたのか。うーん分からない。どのようにして閃くことができたのか。うーん分からない。どこからその閃きがやってきたのか。うーん分からない。閃くとは人間史上一番謎な行為(?)なのではないか。閃くに方法論ができる未来を想像することは酷く困難である。方法的に秩序的に閃いたものは、もはや閃きとは呼べないだろうという気がどうしてもするからだ。




閃きの内容はまちまち

shikouzakki.hatenablog.com私は普段からアンテナを張っている。でも具体的にそれは何をしているの?と問われたら、何もしていないと答えるしかない。ただなんとなくの意識をそこに飛ばし、仕事中や家事をしている時間、本を読んでいる時やお手洗いにいる間も、人生についてのあれやこれをそれとなく浮かべて、それとなく思ったり考えたりしているだけである。その結果として一日何個かのアイディアを閃くことがある。だが閃いたもの全てが使い物になるというわけではない。すぐにこれは酷いなと察するレベルのものから、もしかして世紀の大発見ではと自惚れてしまうようなものまで、中身もクオリティも実にバラバラである。閃いたアイディアのほとんどは、しかしついさっきまで浮かべていた思いや考えとはほぼ関連がない。それらがどのような経路で頭にやってきたのか、私には検討さえつけられないのである。




私の自信の出所

閃くという経験ほど貴重なものを私は他に持っていない。それは自分を遥かに超える何か大きなものが存在していると思わずにはいられない瞬間である。現代に生きているから、それを気軽に神と呼ぶのは少々憚られるが、しかし他に似つかわしい呼び方は、やはり思いつくことができない。なぜ?もどうして?もどこから?も何一つ答えることができないものが自分の頭に突如として降ってくる。これ以上に面白いことなど人生にはないであろうと確信してしまうほどに、不可思議でおかしな体験である。私の「自信」はこういうところから芽生えてくる。私はすごくないけど、すごいことが降ってきてくれる。私だけがそれを直接聞けて、私だけがそれを発展させたり記録としてここに残すことができる。その優越感によってたまらなく私は私のことを好きになる。閃いているのは私ではない。だからこそ、強く信じられる。

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