底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

本を読みたくなった

1

言葉をダッと二十何日連続で出してきて、自分の中が空に近づいてきたのを実感する。あぁなんか言葉を摂取したいなと、そういう欲求が湧いてきたのである。これが本来の健全な流れなのだと思う。言葉を摂取して、自分の中でしばらく発酵させる時間があって、やがて外に出される。言葉の循環が自分を介して成されていくその流れを絶やさず繰り返すことで、人生に停滞がなくなる。心地いいですね本当に。

 

 

2

私はたぶん本を読む方ではない。あまり集中力がないし、同じ本を読み続けるのもすぐ飽きてしまう。カバンには常に二、三冊の本を忍ばせているけれど、大抵は肩を疲れさせる重りとしてしか機能してない。他人の言葉にかじりつく能力が、私には根本から欠けているのだと思う。五行くらい読んだら、すぐ本の趣旨とはズレた自分の興味を考えたくなって、それで満足してそっと閉じてしまう。おかげで一冊の本を読み終えるのに平気で数年はかかったりする。もう最初に読んだ内容なんか全然覚えていない。他人の言葉を読み続けるのって、本当に私にとっては苦行なのである。

 

 

3

それでもやはり時々はすごく本を読みたくなる。他人の言葉に触れたくなる。自分の中が空になって、人生が止まってしまったと思うような時だ。そんな時は、誰か自分とは違う言葉を持つ人に助けてもらうことでしか前に進めないような気がする。自分とは違う環境に生き、違う視点や感性を持ち、違う言葉を織り成す存在が、まずそこにいると知れることが酷く慰めになって、そして、その織り成された言葉たちが自分の中に入ってくることで、空っぽだった器が満たされ、発酵に向けて、ようやっと自分の人生が動き出す。

 

 

4

私はたぶん本は読まない方であるけれど、たぶん本は持っている方だ。古本屋に立ち寄る趣味があり、気になった本はよく試し読みもせずについつい買ってしまう。そうして、未だ十ページも読まれていない本が大量に自宅の本棚に並んでいる。もう死ぬまでに読み切れるのかだいぶ怪しいが、おそらくこれからも数は増えていくに違いない。きっと私の場合、絶えず書くことでしか、本を読む機会も増えないのだと思う。一ヶ月弱書いてきてやっとですよ。やっと少し本を読もうかなという気持ちが湧いてきた。これを機に何冊かまとめて消化してくれたらいいのですけど、うーん無理だろうな。また十ページも読まずに、一ヶ月分くらいのブログを書いてしまうような気がする。他人の言葉は結局私にとって、自分の人生を進めるきっかけ以外のものにはなり得ない。

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