底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

読む本が決まりました

1

さぁ昨日の記事から私が手にとった本のタイトルを発表したいと思います。それは…なんと…何も読んでませんでしたぁ。おいおかしいって。いやぁ昨日の記事を書いていた時は、確かに本を読もうという気持ちがあったんです。嘘じゃないんです。信じてください。ただいつの間にか消え失せて、気づいたら一日が経っていて、もうこの時間になっていたんです。本当なんです。

 

 

2

自分というものはつくづく当てにならないなと思う。思うことも考えることもいつもただの気まぐれで、そこには本当にやるんだ!という真剣さが全然ない。私はたぶん自分の人生で何かに対して真剣になったことなど、未だかつてない。このブログを見てもらえれば分かる通り、いつもいつも右往左往でテキトーにのらりくらり。真剣な記事もあるにはあるけれど、それはその時気まぐれに真剣だっただけで、真剣に真剣をやったことなんか、やはり一度もない。

 

 

 

3

私には差し迫る現実がないのである。こうなっては困るなとか、こうなっては大変だ!と思うようなことがない。いや仮に自分にそう思うようなことができたとしても、それ自体も結局どうでもいいこととしか思えない。人が人生に対して真剣になる時は、大抵そういう絶対にあって欲しくない現実を避けるためなのだと思うけれど、そんな現実は私の人生にはない。むしろ、その人生をなきものにする死ぬことだけが、私にとっての絶対にあって欲しくない現実であるから。

 

 

4

さぁ戯言は置いといて、さっさと読む本決めましょうね。はい。ごめんなさい。うーん何を読もうかしらね。私の本棚のラインナップはだいたい哲学と社会学と心理学とエッセイと詩集と、あと街の写真集やら、なんとなく心惹かれた画集やらがチラホラあるという感じだ。たぶん人と比べたらだいぶジャンルが偏っている。なにせ読書界における最もポピュラーな読みものである小説は、私の家には2冊しかない。そのどちらも人から譲り受けたものだ。なんというか読書におけるフィクションって、どことなく苦手意識があるのですよね。この世の真理を知るためか、生身から絞り出された魂の声を聞くためか、そのいずれかの目的でしか私は本を楽しめない。

 

 

5

よし、決めた。次読む本は比較的とっつきやすい新書にしよう。新書のあのサイズ感本当に好きなんですよね。ポケットに入れるには大きくてゴツイのに、カバンに入れると小さくて見失う、あの絶妙ななんとも言えないサイズ感が手にフィットするんですよね。あ、ちょうど枕元に一冊転がっていました。『神様と神はどう違うのか?』ー上枝美典著ー

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