底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

いい話と本当のこと

1

いい話というのは大抵嘘だ。嘘だからそれはいい話として語り継がれる。本当のことなんてみんな嫌という程に知っているから、そんなの今更口にしたって仕方がないのである。だが、それは語り継がれるうち、嘘だということを大抵みんな忘れていく。こんなに語り継がれているのだから本当に違いないのだという逆転の捉え方が出て来るようになって、話がややこしくなっていく。今度はもはやそれをわざわざ嘘だと指摘しなくてはいけない。みんな嘘だと知っていて、だからこそ語り継がかれてきたものが、嘘なのだとあえて提示しなければ、本当だと思い込まれていくまでに変わっていってしまうのである。

 

 

2

本当のことは大抵身も蓋もない。身も蓋もないないからひた隠しにされる。そんな現実は見たくないと言わんばかりに皆が必死に隠し続けるうち、何が隠されていたのかさえ分からなくなるほどに、それは姿をくらませる。今や隠されていたものを取り出して見せびらかしても、それがなんなのを知る人は少ない。そもそも何かがそこに隠されていたということさえ、大抵もうピンとこない。みんなが本当だと知っていて、だからこそひた隠しにしてきたものが、もはやその隠されていたという事実さえも、綺麗さっぱり忘れ去られるまでに変わっていってしまうのである。

 

 

3

本当のことを見たいのならいい話でまとめようとしてはいけないし、いい話でまとめたいのならそれが本当でないことを知らなければならない。本当のことは、とっちらかっていて何がなんだから分からないし、意味のある結論も大概出てこないし、これを知ってどうなるというようなものばかりだ。いい話は、その本当のことの都合の悪いところを削ったり、雰囲気で誤魔化したり、嘘を上から塗り替えることで作られているものばかりだ。

 

 

4

ひた隠しにされていた本当を暴き出しても、それは誰のためにもならない。自分の好奇心と探究心を満たせるだけである。そうであると自覚しなくてはならない。何かが本当であることには自体的な価値なんかない。それを価値と思う人にとってだけ価値である。いい話を語ることはみんなの望むところだ。みながそれに喜び、とびつきたくなるような話こそがいい話だからである。だが語り手は、それを本当でないのだと自白しなければならない。でなければただの詐欺も同じである。本当のことは忘れてもらってかまわないが、いい話を本当だと思ってもらっては困る。世界はそんなに人間に都合よくできていない。だからこそ人は都合のいい世界になるように努力するのである。

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