底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

良いものをつくるには吸収量と範囲がものをいう

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良いものを作っている人ほど、過去の良いものを多く参照して取り入れている。良いものをつくれるかどうかはもちろん個人の才能やその他の諸々の要素も関係しているのだろうが、この「吸収量」は外せない本質であるように思う。そこをサボるともうよっっっっっぽど才能に恵まれているのでない限り、良いものなんかつくれない。いや、よっっっっっぽど才能がある人こそ、大概常人には信じられないほどの吸収量を既にこなしているのである。

 

 

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他人とは違うものをつくりたい。だから他人の作ったものは見ないし聞かない。そういう人ってたぶんいる。というか昔の私がそうだった。自分は自分にしかつくれないものをつくりたいんだから、他人のつくったものなんて鑑賞する必要ないって完全にそう思ってた。才能もないのに空っぽで無知な自分から何か良いものなんて生まれるはずないって、その時には分からなかったのである。まず、他人のものをいっぱい吸収して、それで時間を置いて自分の中でゆっくり発酵させる。その発酵されてできたものこそが自分の個性であり、自分にしかつくり出せないものの正体なのだと、今ならはっきり分かる。

 

 

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吸収する範囲は、自分のつくりたいのに似通ったものだけではダメである。それは遠ければ遠いほどむしろ望ましい。良いものとはつまるところ、新しくて人々が感心する組み合わせのことだ。その組み合わせがどこに落ちているのかは、まだ誰にも分からない。それをいかに見つけられるかがカギである。だからこそ、一見なんにも関係なさそうものでもどんどん吸収をしていくべきだ。なんなら他人がつくったものでさえなくても良い。街の風景とか、自然の声とか、普段関わっている人との何気ない会話とか、生活の中で触れるものも吸収の対象である。それらは貯めておけば貯めておくほど、いつか自分の中で、自分も想像していなかったような化学反応を起こす。

 

 

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世の中には既に良いものがたくさんたくさん溢れている。せっかくもうすぐそこにひょいっと乗れるような巨人の肩があるのなら、それを存分に借りようじゃないか。常に最新の時代が一番吸収できるものが多いのだから、それを活かさない手はない。他人のものを極限まで多く吸収した先で、それでも自分で表現しなけれならない領域があることに気づく。その領域は極わずかな一部分かもしれないが、前人未到であるならつくる価値はやはり十二分にある。自分がその領域を埋めることで、また次の人がそれとは違う別の新しい領域を発見することができる。そうして世界は少しずつ前へと進み、豊かになっていくのである。

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