底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

仕方がないなんて知っている

1

人生どうにもならないことってたくさんある。生まれ持った性質や環境、何度も記憶として蘇る苦い過去、他者の抱く思いや考え、突然襲い来る病魔や災悪、加齢に伴う老化現象、そして絶対に避けられない死。たくさんありすぎて本当に嫌になってくる。どうにもならないと知っているけれど、だからって簡単に割り切れたりはしない。どうにもならないと知っているからこそ時に喘ぎ苦しみ、時に人生に絶望するのである。「どうにもならないなら悩んでも仕方ないじゃん。」「人生は結局どうにかできる部分をどうにかするしかないんだよ。」そんな正論は自分が一番よく分かっている。

 

 

2

どうにもならないことに時間を費やす。確かにそんな馬鹿なことはない。どうにもならないって既にはっきり分かっているからね。いくら時間をかけたところでどうにもならないことはどうにもならない。でも、かけられた時間全てが無駄だなんて私は思わない。そもそも人生において無駄とはなんだとか、無駄があってもいいじゃないかとか、そういう話は一旦すっ飛ばして、今後の自分の人生をよりよくするかしないかという一番語られることの多い無駄の基準においても、やはりそれは無駄ではない、と私は思う。

 

 

 

3

人生には数多くのどうにもならないことがあるけれど、ある一つのどうにもならないことに限ってだけ深刻な悩みを抱えるのだとすれば、そこに自分の軸があるはずだ。どうしてそんなにも悩むのか、どうにもならないことの何がひどく苦しいのか、考えるヒントが広がっている。深刻な悩みを抱えていればいるほど、そんじょそこらの答えでは納得できない。思考すれば、今まで誰にも見つけることのできなかった真実に辿り着く可能性は高い。誰にも見つけることのできなかった悩みの出口からポッと抜け出せることも、ひょっとしたらあるかもしれない。

 

 

 

4

しかし真実を見つけられなくても、悩みから抜け出せなくても、やはり無駄ではないと私は言いたい。どうにもならないと既に分かっているのに、長くそこにへばりつけるのなら、もうそれは一種の才能である。必ず何か生まれるものがあるはずだ。微々たるものでも、人に影響を及ぼしてしまうような何かが。その深刻な悩みはきっとまんま自分の生き方に反映されているから、自分に生み出しているという意識がなくても関係ない。悩みを抱えながら人生を生き抜くだけでも意味がある。どうにもならないことを散々悩み続けて、しかしやはりどうにもできなかったと、そうして死んでいきたいものだ。

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