底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

夢の不思議

夢と現実の違いは時制

夢と現実の違いは「は!夢か」とそこから覚める自分がいるか否かだけである。だがこれは、だから現実も夢も大差はなく、今我々が生きている現実も夢かもしれないというような話ではない。そんな想定はまるきり無意味だと言っていい。(三百日前の自分はその無意味な想定に浸っていますね。お馬鹿さん。)shikouzakki.hatenablog.comポイントは夢は必ず過去の形でしか姿を現さないことにある。覚めてからしか夢だと気づけず、気づいた時には既に過去になっている。夢は必ず「今はもうない」のだ。「常に今」である現実との大きな違いである。過去と今の断絶は思うより遥かに厳しい。その時にもう戻れないのはもちろんのこと、どんなに過去を思っているつもりでも、思っているのは今の自分で、思われている当のものも今の自分の頭にある産物に過ぎない。そうであるにも関わらず、普通の過去は記憶というもので、夢は覚めるという行為で、二つとも首の皮一枚で「なぜか」今の現実と繋がることができている。とても不思議なことである。
shikouzakki.hatenablog.com




夢と現実に共通する不思議なこと

夢の不思議、その最たるものは「私」に覚めるということ。それが私に覚めることによって、私は初めてそれを自分の夢だと知るのだけど、なぜ私に覚めるのかは全く分からない。どんなに内容的に現実と繋がりがあっても、それが私に覚めない限り私の夢にはならないのだから、ある夢が私に覚めるのはやはり完全に偶然によっている。現実でもこれは同じである。なぜか私は今このブログを書いているこいつの目からしかものが見えない。世界はいつもこいつの目から開かれている。別に他の人から見えたって全然よかったけれど、なぜかいつもこいつだ。これも偶然である。




過去はとても短く感じる

夢は実際現実の時間では何時間くらい見ているのだろう。覚めるといつもせいぜい長くて三分か五分そこらに思えてしまうのは、それが既に過去だからなのか、それとも本当にその長さなのか、確かめる術はもっていないので分かりっこないのだけど、勘で言うなら前者である。だって私自分が二十五年間生きてきたとはさらさら思えないもの。今覚えているものだけを並べてもきっと半日の長さにもならない。まぁそれは私の記憶力が悪いという個体のせいなのかもしれないけど。でも個人差はあれ過去は誰でも実際より圧倒的に短く感じるものなのではないか。




現実から覚めるのは死ぬ時だ

現実は夢ではない。私たちはその重みをよく知っている。それは夢でそう見ているだけかもしれないなんて言葉は戯れ言にしかならないほど嫌というくらいに知っている。現実は変えることはできても、そこから覚めることは叶わない。私達は誰でも自分に与えられているその現実を誤魔化すことなく必死に生きるしかないのであろう。