底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

眠ることと死ぬことの違いはそんなにない

やっと晴れた!

久々にお天道様が姿を現した。やっぱり気持ちというのは天気に左右されるのだろうか、今日はなんだか心まで軽やかである。しかし電車では傘を持っている人がチラホラ見受けられる。これはあまりこの後は期待しない方がよさそうだ。

 

 

底辺人間の生活事情

底辺人間の生活は極めてシンプルだ。仕事以外は基本的に家でゴロゴロか、そんな自分に自己嫌悪して外出するかしかやることがない。友人はいないことはないが極めてあっさりした付き合いである。底辺な上にコンプレックスだらけで、人と深く関わるのは怖いし、そもそもこんな人間と深く関わろうとする人がいるとは思えない。今日も相変わらずの仕事だ。昨日20時間も寝た弊害で今日は眠りにつくのが難しかったのでまた寝不足である。

 

 

睡眠と死の違い

規則正しい生活ができている人を心のそこから尊敬する。私は眠ることがとにかく怖い。分からないのだ、意識がなくなることと自分が無くなること、睡眠と死の違いが。本質的には同じに思える、違うのはもう一度目覚めるかどうかだけだろう。そしてそれは目覚めてみなければわからない、つまり眠る時点ではこのまま消滅するのか、普通に明日も目覚めるのか信じる事しか出来ない。どこにも自分が次の日も存在するという確証がないまま目をつむらなければならない。その事が恐ろしくてたまらない。だからいつも眠くて眠くて勝手に寝落ちするまでは起きていようとしてしまう。よって規則正しいとは無縁の生活しか送れなくなっている。

 

 

自分-意識=?

普通に眠ることが出来る人は明日の自分を無条件に確信している。自分の意識と自分とがハッキリ別物であると区別できている。眠ることは自分の意識が一時的になくなることで自分がなくなることではないとなぜか知っている。私はそのなぜ?が飲み込めない。過去今までずっとそうだったじゃない!と言われても、でも今度こそは死ぬかもしれない、と考えてしまう。そもそも「意識がない自分」という言葉の意味も分からない。意識がないのなら死んでいるも同然じゃないか。

 

 

救いようのない馬鹿

死を恐れて眠れないことによって死期が早まっていそうという本末転倒ぶりが実に底辺人間らしさ全開である。そうであるにも関わらず対策をたてようとしないところも加えて、更に救いようがない。どうして私はこうも底辺なのか、と自分自身に問いかけたことがある。出た結論は「知らんがな」だった。馬鹿すぎて思わず苦笑した。これだから底辺なのだろうな。

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