底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人間関係に縁という概念を持ち込めば大抵のことは諦めがつく

雨続きの日々、ついにさようなら!?

雨の音は聞こえないが、どうやらこの後降るらしい。もはや雨が普通の天候になりつつある。職場に傘を置いてきてしまった私は、今日をどうするか考えている。今日一回の為に傘を買うのは収入が雀の涙ほどしかない底辺人間には痛い出費すぎるので、うん、ずぶ濡れになる覚悟で出かけよう(結局雨降ってなかった!ラッキー)。

 

 

仲の良さ≠関係の深さ

今日は私にしては珍しい仕事以外の予定がある。数少ない友人との遊びだ。前に友人とは極めてあっさりした付き合いしかしていないと書いたが、それでももう友達歴7年目になる友人である。あっさりとは書いたが別に仲はいい。私的には仲の良さと関係の深さは別物である。浅い関係で仲がいいこともあれば、深い関係で仲が悪いこともある。関係の深さとはどれだけ自分の心中を話せるかで決まり、仲の良さとはどれだけ一緒にいて楽しいかで決まる。心中を話せなくても一緒にいて楽しいことや、心中をどれだけ話しても仲が悪いということは往々にしてありえる。

 

 

関係においての理想は?

人間関係というのをあまり考えないようにしている。こういう問題は人それぞれだからである。そもそも常に自分のことで手一杯であるというのもあるし、他人が何を考えているのか、何をよいと思うのかなんて考えてわかるものじゃない。前回の記事にも書いたが、他人の気持ちが分かるのは奇跡でしかない。だから他人に真剣に向き合ってもその気持ちは時々しか分からない。あれもこれも理解しようとするより、一緒にいてお互いが不快を感じさえしなければそれでいいと思っている。私に心を開いているか、私のことをどう思っているかは相手の自由であるし、こちらが気にしたところで何かが変わる訳じゃない。

 

 

人付き合いは神の仰せのままに(無宗教)

私的に関係への最大の敬意は、逆説的ではあるが、関係を気にせず自分の人生を精一杯生きることである。関係というのはもともと結果的なものだろう。私が日本の今の時代に生まれて、二十年そこらここで生きているのは完全にたまたまである。どんな時代に生まれ、どんな家庭で育ち、どんな人々と関係するかは私が決めたものではない。だから縁がある人とだけ付き合いを続ければいいと考えている。

 

友よ谢谢

友人のおかげで今日はとても楽しい一日になった。自分が底辺であるということさえ忘れさせてくれるつかの間の至福。また明日からいつも通りの日常が始まるのだろう。今日はいつもとは違う、いい意味で眠れない気がする。

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