底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

約束をしたのは過去の私であって今の私じゃない

毎日寝不足生活

あー眠い眠すぎる。寝不足が祟ってもう目を開けるので精一杯。これで仕事に行かないといけないのか。自業自得だけどしんどいわ。今日は曇りのようだ、このまま雨降らないといいな。眠過ぎて頭に何も思い浮かばない。もしかしたら、今日は1000文字すら書けないかもしれない。自分との約束を全然守れないあたり底辺そのものだな。この後の文章はいつも以上に駄文乱文誤字脱字がひどいかもしれない。何言ってんだこいつくらいの軽い気持ちでどうかお読みください。

 

 

今の私じゃない私って?

自分との約束に限らず、私は約束するというその行為が本当に苦手である。友人との遊びの約束から仕事の期限までの全ての約束が無理なのだ。無理というのは守れないという意味ではない。守ることは可能なのだが苦痛で仕方ないということである。なぜ苦痛に思うかというと、一番の理由はそれが「過去の私」が約束したことだからである。そう、今の私ではないのだ。今の私ではない私なんて私じゃないじゃないか。

 

 

記憶は本当に過去と繋がっている?

例えば記憶喪失した人がいたとしたら、その人は約束を果たすことはできないだろう。なぜできないかと言えば、当然覚えていないからである。こちらが約束したでしょ!?とせがんでみても、全く無駄な結果になるだろう。記憶を失くすと途端に約束は知らない他人が勝手に交わしたものに成りかわるのである。いや成りかわったのではない。元々過去の私と今の私とは完全に別人なのだ。記憶というもののせいで錯覚に陥っているだけである。だって全ての記憶は所詮「今」あるものでしかない。記憶には過去めいたものがあるだけで、どこにも過去そのものなんて見当たらない。

 

 

過去の私は私のそっくりさん

しかし現実では、なぜ過去の私がした約束を今の私が果たすべきとされるのだろうか?それはきっと過去の私と今の私は同一と「見なされている」からである。なぜ見なされているかと言えば、過去の私と今の私が同時に出現できないそっくりさんだからである。他人から見分けがつかない、常に片方しか出現しない、という二つの条件が揃う時、本人とそっくりさんは他人からは区別のしようがないので、ひとりの人間として扱われることになる。(私からしたらそっくりさんは私ではないことはハッキリしているのに!)

 

 

ただの言い訳

過去の私は過去の私であって今の私ではないとは言ったものの、現実にはこんなのはただの言い訳にしからない。実際言い訳なのだろうと思う。だってやっぱり過去の私は私なのだから。今からは断絶されているとはいえ、ここに二十五年生きた人物がいきなり出現するなんてことは考えにくい。でもやっぱりどこか他人な気がするのだ。いやもしかしたら他人よりももっと遠いかもしれない。だって一度たりとも会ったことがないのだから。

 

 

約束は果たしたぞ

やったー勢いで書いたが1000文字書けた。

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