底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

パクリの定義とパクリ癖とはてなスター

結局雨降っとるがな

3時に目が覚めた。午後の。今日は仕事だけど、遅くからだったから久しぶりに少し寝不足が回復した。天気は曇りのようだ、昨日と打って変わってヌメヌメした暑さが体にまとわりつく。でも風があってほんの少し心地よい。

 

 

読者になってくれてありがとうございます

ブログを始めて一週間でついに「〇〇さんが〜読者になりました」の通知が届いた。ついにと言ったが予想より随分早い。嬉しい限りだ。自分で書いといてなんだが、このブログに需要が生まれることはどこかやっぱりイメージが湧かない。だってなんの役に立つはずもないことは自分が一番よく知っている。それでも(気まぐれでもなんでも)読者になってくれる方がいるという事実がここにあるのだから、素直に喜んでおこうと思う。

 

 

 

パクってしまう…

ところで私はまだ人様のブログを読んだことがない。読まないことには一定の理由がある。それは私がとても影響をうけやすいからである。無意識に人の文章をパクリかねない。ある文章を素晴らしいと思えば思うほど、のめり込みその事しか考えられなくなって、いつしかそれが自分が考えたものであるかのように感じてしまう。自覚をするのはずっと後になる。

 

 

自業自得なんだけどね

これはあの人のパクリだ、あれはこの人の受け売りだ、と認める瞬間はとても苦痛である。自分のものだと(思い込みであれ)思っていたのだから、切り離す作業は自分を失うことに等しい。自分には何にもないと知るのと同時に、他人の言葉を自分が考えたかのように喋ったり書いたりしていたことに顔が真っ赤になる。恥ずかしくて消えてしまいたくなるし、申し訳ない思いも溢れてくる。なにもいいことなんかない。

 

 

習うとパクリと自己洗脳

習うとパクリの違いは、前者は人に習っている自覚があることで、後者はその自覚があるにも関わらず、そうではない体で、世間に接することある。それでいうと私はどちらでもない。パクリよりも更にタチが悪い。自覚さえないのだから。自己洗脳の域である。

 

 

どうだろう

それでも時々気になっしまう。人様はどんなことを思ってどんなことを書いているのだろうかと。その解決策として、いっそうたくさん読めばいいのではないかと思いついた。一つ二つにするからパクってしまう。たくさん読んで、混ざりあったそれらから何かを帰結することはパクリではなくなるのではないか、と考えている(虫が良すぎる?)。

 

 

はてなスターってなんぞ

ともかくそんな訳で色々な方のブログにお邪魔するかもしれません。はてなスターというものの使い方も習得したいので。その時はどうぞよろしくお願いします。パクらないように気をつけます()

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