底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

【今週のお題】私の人生における爆発

今週のお題「爆発」

日常のふとした瞬間に、つい爆発しちゃうことありませんか?

 

あるか?

 

 

私の人生における爆発

日常では少しも爆発したことなどないが、人生においては往々にしてある。私にとって爆発とは世界を見る私の目が変化した瞬間のことである。世界の方は今まで通りにあるだけなのに、私の見方が変わったことによって、今までとはまるで違う世界が目の前に広がる新鮮さと衝撃を私は爆発と名付けたい。そう、この爆発の名前は「分かる」である。

 

 

 

分かるは奇跡

人が何かを分かることができるのはなぜなのか?こういう問には得てして答えがない。分かるは分からない。分からないからこそ人は何かを分かることができるのだ、なんて逆説的な何かを言ったようで何も言っていないような答えしかそこには用意されていない。なぜなら「分かる」とは奇跡なのである。そこに答えがないのは、奇跡を説明する手段を人は持っていないためだ、奇跡は常に論理や論説を超えて存在しているのである。

 

 

 

分かるが分からないからこそ人は分かることができる

何かを分かるようになるのは全然個人の力ではない。ある事をその場ですぐに分かる人と一生かけても分からない人の間にある差は知識の浅深や、頭のよしあしなどではない。もちろんそれらと全く関係ないと言えば嘘になるが、最終的に両者を分かつのは結局「なぜか」なのである。分かる人には端的に分かり、分からない人には端的に分からないのだ。そこに理由などない。なぜある事を分かったと分かるのか、なぜそれを個人の推測や思いの範疇であるとは捉えずに、世界のあり方の一つを事実として理解したと確信できるのか、人には決して分からない。分からないからこそ分かることができるのだ。「なぜか」分かるから分かるのである。

 

 

一度分かってしまったら

あることを分かる前と後では世界の見方が大いに変わる。分かるとはまさに「分ける」なのであるから、何かを分かるは即ちその対象を世界から切り離すことを意味する。分かる前はただ普通に世界の一部として存在していたものが、分かった後では世界とは別のものとして、世界と対比的に存在するようになる。私と世界の二者だった関係は、分かることによって私と世界と対象の三者に変貌する。一度分かってしまったら、もう二度と分かる前には戻れない。純粋に世界を見る目はわかる事によって殺される。

 

 

今週のお題を書くために無理やりこじつけました

分かるとはまさに爆発なのだ。爆発はふつう突然にはおきない。圧力などの作用をかけ続けられ、耐えきれずに圧縮されていたものが急速に膨張するからこそ爆発するのである。分かるもそれと同じで、分からないことが急に分かるようになることはなく、それは常に分かりたいという意志の力に支えられている。分かりたいと自分に根気よく訴え続け、考えに考え抜いた上で、そこに少々の奇跡が訪れてやっと「分かる」という名の爆発は起きるのである。

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