底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

【今週のお題】お風呂で過ごしたことはありません

今週のお題「お風呂での過ごし方」

シャワーオンリーなので特になし。

 

 

すっかり忘れてた

最近なんか忘れてると思ってたら、今週のお題全然書いてなかった。近頃はその日その日で書きたいことがなんとなくあったし、ない日は普通にお休みにしてたので、今週のお題を書くって発想が頭からぽっかり抜けていた。さて、今週はお風呂での過ごし方か。うーん、まず頭をシャンプーで洗って、シャワーで流して、次にリンスをつけて、その間に体をボディソープで洗って、洗顔料で顔を洗って、全部シャワーで流したらおしまい!

 

 

お風呂で過ごしたことはありません

ってこれお風呂での過ごし方じゃなくて、ただの私の洗い方やないか。でも仕方ないのだ。八年近くも一人暮らしてきたけれど、お湯なんて一回も張ったことはないんだから、私はお風呂で「過ごした」ことなどないのである。私にとってお風呂なんてシャワーでさえ、できれば一生したくないものである。でもシャワーを浴びなければ、汚れは落とせないしキレイな私は手に入らないから、それで仕方なくシャワーを浴びているだけである。私は早く「シャワーを浴びた後のキレイな状態」になりたいだけなのだ。お風呂は私にとってそのための仕方ない手段に過ぎないのである。

 

 

まーた生死の話だよ

人生においても同じである。私は常々はやく「死んだ後の状態」になりたいと思っている。多くの人が言う「死にたい」も同じ意味だと私は捉えている。彼らは決して「死に至る行為」がしたいのでは無いはずだ。誰も彼も「死んだ後の状態」を望んで、それで「死にたい」と口にしているのであろう。世の中にはたいそう奇妙な問がある。それは「どんな死に方が良いですか?」という問である。「死に方」なんていう方法があるのかと私は聞き返したくなるのだが、どうやら私が考えている死に方とは違う意味らしい。それは結局どんな生き方で最期を迎えたいかという「生き方」に関する問だったのだ。

 

 

魔法で毎日キレイになるとしてそれでも風呂入る人いるんか?(反語)

おっと。いけない。お風呂での過ごし方であった。ともかく「お風呂での過ごし方」なんてお題、私にとっては「理想の死に方」くらいおかしな響きである。実際、何かしらの魔法で毎日キレイな状態を保てるとして、それでもお風呂に入りたいという人はいるのだろうか。いるのだとしたら本気で住んでいる世界が違いすぎるな。魔法で全く痛みなく安らかに逝けるとしても、死に至る痛くて苦しい行為がしたいという人くらい私には理解できない。

 

 

死んだら同じよ

どんな生き方で最期を迎えたいかと問われたら、私は「死ぬんなら全部一緒」と答えるし、お風呂でどう過ごしたいかとと問われたら、私は「キレイになるんなら全部一緒」と答えるだろう。どうやら私はそのように情緒やら趣やらが全くない人間らしい。でも実際そうでしょ?どんな最期であってもみんなみんな死んだ後は「同じ」なんだから。

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