底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

停滞している

停滞している

知りたいことがない。書きたいこともない。この頃切実に自分の停滞を感じている。ニートになってからというものの私はより一層自己愛が強くなった。元々自分大好き人間であるのに、最近はますます自分のことが愛おしくて仕方ない。自分のやることなすこと全てが素敵に見える。これでいいのだろうか?という唯一の疑問を除いて自分のことを全肯定している。本を読むこともめっきり減って毎日自分の世界に閉じこもるばかりである。




つまらなかったらごめんなさい

ブログにもそれが如実に表れている気がする。前はもっと哲学的な文章も書いていたのに、近頃は読み返してみると自分語りしかしていない。ブログを伸ばす気もさらさらなくなってしまった。誰も読んでくれていないのはさすがに悲しいが、毎日一人でも読みに来てくれている人がいるなら、もうそれでいいやという気持ちが強い。より多くの人に読んでもらいたいというより私はやはり自己満を突き詰めたい。でもこれだけ毎日自分を見つめているのに、自分が何をしたいのかに関しては未だに全然わかっていない。「死ぬときに後悔しない」とか「ひたすら考える」とかそういうことは決まっているのだけど、で、結局私は何をしておけば後悔しないのか、何を考えたいのか、そういうのは分からず終いである。分からない原因は偏に私が自分のことしか見ていないことにあるのだろうな、と予想はついているのだが、かといって「やってみなきゃわからない」とか「他人との出会いでつかめることがある」みたいなことは大いに苦手であるし、そこまでして分かりたいという情熱もないので、この六畳一間の部屋の中で永遠に停滞していようかと思うところである。




後悔しない方法

ともかく、私は今の生活に大変満足している。お金がつきたら終わりの生活ではあるが、その「終わり」がどんなものなのか一層見てみたい気持ちがある。死ねたらラッキー、飢餓や不安や恐怖に負けて働くもありだが、犯罪にだけは手を染めないように細心の注意を払いたい。過去の私が残してくれた貯蓄をちびちび食いながら、生ごみのように何の生産性もなく未来へ腐っていく。いいですね。どんどん「死ぬときに後悔しない」という目標に近づいている。後悔しない方法は何も自分のしたいことを叶えるだけではない、端的に「できること」を一つにしておけばいいのである。後悔そのものをつぶすのではなく、後悔の余地をつぶしておくのだ。




停滞していたい

停滞するのにもかなり労力がいる。何しろ人間は動物であるのだから、動いている方か自然なのである。でもだからこそ、停滞することには一定の価値があると私は思う。前に進まない、進まないことに罪悪感を覚えない。そんな人生をこれから送っていきたい。

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