底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

矛盾した自分と勝負と強さ弱さの話

尊大な自分が生まれている

世間の如何なる勝負にも完敗しどうしようもなかった私が唯一見つけた活路、「自分の記録」という、定義によって自分の勝ちが絶対的に保障されているものが、つまりはこのブログなのであるが、最近この勝負の虚しさがひしひしと私を苦しめている。「負ける可能性のある勝負をしてその上できちんと勝ちたい」などという尊大な心が自分の中に住み着き始めたのである。いやいや、全てに完敗したからこそここに逃げてきたんでしょうに何を言っているんだ、と自分にツッコミを入れては諦めるように諭しているのだが、あまり効果は見られない。
shikouzakki.hatenablog.com




強さと弱さは紙一重

強さと弱さは紙一重である。それは自分のどうにも変えられない部分を、一つを選び続けることのできるブレない軸があると評するか、他の選択を選ぶ勇気がない意気地なしと見るかの違いに過ぎない。私のどうにも変えられない部分とは「自分自身であり続けたい」という思いである。人生で何かの岐路に立たされる度、それを優先し他の選択をドブへと投げ捨ててきた。だから、今更他で勝負したいなんてのはただの戯言にしかならないのだが、どうやら自分はその戯言を唱え続けたいらしい。完全勝利が約束されている安全なところから、そう吠えるのが気持ちいいのでしょうね。まったく、付き合ってられませんわ。




「弱さ」が足りない

私の場合それは完全に弱さである。私は文章を書くことを自ら選んだのでなく、ただどうしようもなく結果的にここに追い込まれただけである。書きたくないけれど、書くことでしか生きていけない。自分に残されている場所はもうここしかないと直感している......はずなんですけどね、世の中との関わりを完全に絶てるほどの「弱さ」はまだないようである。でなければこんな誰でも読める場所で書かずに、ひとりで勝手に手持ちのノートにでも記録を書き連ねていればいいわけだから、そうしないのは即ち、そこまで「弱く」ない、少なくともそこまで「弱い」のだと認めたくないということなのだろう。




人生辛い...

如何なる勝負にも勝てやしないくせに、常に完全勝利できる勝負は寂しくてイヤときた。とことんわがままですね。こんな自分と私はどう付き合っていけばいいのだろうか。とにかくこの頃は散々振り回されてとても草臥れている。人間に矛盾はつきものであるが、矛盾していても仕方ない、そういうものだと諦められないのもやはり人間である。矛盾を抱えたままで、矛盾に苦しみながら、解決することなど決してできないと悟りつつ、それでも矛盾をなくそうと少しでも奮闘して、やがて死んでいくしか道はないのだろうか。はぁ。人生やめてぇな。

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