底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

性格って本当にあるの?

性格って本当にあるの?

性格というものをあまり信じていない。ある人にある特有の性質が備わっていて、しかもそれが一生涯変わらないなんてこと実際にはあるのかもしれないけど、でもたまたまだろうと思う。意識的に変えるのが難しいとしても、変わることはやはり往々にしてある。環境や加齢や他様々な要因で徐々に変化していくものもあれば、何か一つの衝撃的な出来事に見舞われて、突然に一変することもある。全ては不確定であり、絶対的に自分に張り付いている性質というのは何もない。たまたまの縁で一生寄り添うことになるものはあるとしても、それで自分が定義されるわけではない。

 

 

人の違いを説明するためだけにあるのかも…?知らんけど

性格とは必要に迫られて生まれた概念なのではないだろうか。人と人の行動の違いを他のどんなものでも説明ができない時のある種こじつけとして、それは性格が違うからだということにしたのかな(超テキトーな憶測)。街で友人に遭遇しても、声をかける人とかけない人がいる。シチュエーションがよく似ていても、やはりそういった違いが出てくる。なぜ違いが出るのか、それはひとりが明るく活発で、ひとりが恥ずかしがり屋の引っ込み思案だったから。そう言われればなんとなく納得できて、それ以上その違いの「なんで」が気にならなくなる。

 

 

それ本当に性格?

なんで私はこんな性格なのだろう、と問いを立てたりする人がいる。いつもいつもこの性格のせいで損をしてばかりなのに、変えようとしても変えられない。どうして自分はこんな厄介な性格なんだと思い悩む。しかし、そもそもなぜ本人は自分の性格を「それ」だとしているのだろうか。例えば自分を人見知りだと思う。初対面の人に会うとオドオドしてしまい、うまく会話が交わせないから、きっとそうなのだと結論を出す。だが、それは実はもっと他の要因が関係してそうなったとも十分に考えられるはずだ。たまたま何度か同じような経験をしたからといって、それだけで自分の性格だと決めつけてしまうのは早計である。

 

 

性格に自分を縛りつけない

ここに対しては真面目なのに、他のことに対しては大いにふざけている。こういう時は人見知りが発動して上手く喋れないけど、たまに全然平気で喋れたりする。性格とは所詮こんなものであろう。全ての事柄や状況に対して一貫的に同じ態度であるなんてことはないと思うのだ。その中からどこを掻い摘んで自分の性格とするかの問題に過ぎない。自分の見方次第でどうとでも変わるというのは言い過ぎであるが、切り取り方と捉え方に依存している部分はやはり大きい。性格なんていう実体のないものに、自分を縛り付けてしまうのは酷くもったいないと思う。

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