底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

プロと一般人の話(謎目線)

プロと一般人の話

プロが拘り抜いてつくったもののすごさは、一般人には分からない。一般人には分からないところまで拘り抜くのがまさにプロだからである。評価においても、一般人は自分の感覚や好みによってそのものの価値を決めるが、プロは当然そうではなく、豊富な経験と知識に基づいて技術的に質が高いと言えるものをこそ評価する。ここには一定の断絶が存在しており、もしプロが何か自身の技術がつまったものを世の中に広めたい場合には、ただ質の高さを追求するだけではダメであり、逆に一般人が何か質の高いものを求める場合にも、ただ自身の好みや感覚を頼りにするだけではダメである。両者が交じり合うには、プロはある程度一般人を理解しなければならず、一般人はある程度プロを信頼しなければならない。

 

 

価値判断の軸が違うだけ

この断絶はいわば必然であり、その断絶こそが一般人とプロを分かつものであるから、そこに優劣や正誤を持ち込むのはナンセンスと言える。一般人がプロの判断基準を分からないのは至極当たり前であり、プロが質以外にも気を配らなければならないのは、一般人に見る目がないからではなく、単に価値判断の軸が両者で異なっているからである。質が高いそのことにおいて評価されるべきだという考えには一面の正しさがあるけれども、一般人にそれができてしまったら、プロの仕事はなくなってしまうわけだから、そうであってもらってはプロの方が困ることになるだろう。

 

 

分からなくても信頼が必要

一般人はプロを信頼しなければならない。自分の感覚や好みを一旦捨ておくのでないなら、プロに頼る意味は無い。自分じゃ手に負えないと思うからこそプロに任せるのだから、まずはしっかりと腰を低くして、自分には分からない価値がそこにはあるのだと信じてみるべきである。自分の感覚や好みに添わないからといってすぐに反感を抱いたり反発するのでは、何のためにプロに頼ったのか分からなくなってしまう。

 

 

プロと一般人の良好な関係

プロは誰にもわかって貰えないとしてもやはり拘らなければならず、一般人は自分には分からないとしてもそこには価値があるのだと信じなけれならない。その事によってのみプロと一般人の良好な関係は保たれる。そんなプロはいないと信じたいがどうせ一般人には分からないからと手を抜いたり騙そうとしたり、或いは逆に一般人の方が謙虚にならず、全くプロの価値判断を無視したり、その意見に耳を傾けないのは最悪の事態である。

 

 

謎記事

うーん、今日の記事ずっと何言ってんだろ。というか誰目線?何のプロにもなったことないやろ自分。底辺人間記録史上最謎記事かな。

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