底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生とかいうクソゲー

クソゲーたる所以は挙げればキリがない

人生はどう考えてもクソゲーである。まず一回死んだくらいでもう全てが終わってしまうということ。何回も死ねるから学び先に進めるのがゲームの鉄則であるのに。そして生まれの時点でスキンや装備を選べないということ。後から課金して変えられる範囲も限られている。あとはゲームの放棄が許されていないこと、ゲーム機ごと壊す(自害)しか道がないなんていくら何でも酷すぎる。更には何も選択肢を間違えたりしていないのに不運とかいうバグで突然死んだり、HPを大幅に削られたりする可能性があること。極めつけはクリアが用意されていないことだ。待っているのは必ず死というゲームオーバーなのである。これをクソゲーと言わずして何と言うのだろう。

 

 

人生の唯一のいい所かつ最大の悪いところ

そんなクソゲーの唯一のいい所と言えば、このリアルさだ。こんなリアルなゲームは人生をおいて他にないだろう。全てがありありと自分の全身を包み込み、喜びや楽しさ、美味しさや気持ちよさ、それらを一つも逃すことなく隅から隅まで存分に享受することができる。うん…。もうお察しと思うがもちろんそれも、いやそれこそが人生をクソゲーにしている最大の要素でもある。辛さや苦しみ、不味さや気持ち悪さも同様にリアルになってしまうのだから。

 

 

意地のためにクソゲーを遊んでいる

さて、そんなクソゲーを一体人はどんな心持ちで遊べばいいのだろうか。どんなモチベで既にゲームオーバーが確定しているこれと向き合えばいいのか。うーん、私の場合は意地だな。ゲームオーバーと言わせてたまるか!そっちがクリアを用意していなくとも勝手にこっちで満足して終えてやるもんね!こんなクソみたいなゲームでも全部楽しんでやったわ!!クソが!!!と最期に言ってやりたい(誰に?)が為に、今日も今日とてせっせと遊んでいるのである。しかしその意地をこんなクソゲーの中で叶えるのはまあ大変で、やることはとても多い。今のところその見通しは全然立っていない。後悔していることは沢山あるし、端的な苦しみや辛さを楽しむ方法もまだ知らずに生きている。それらを解決するのはたとえ私が無事に寿命死を迎えられるとしても、きっともう無理なのだろう。だが今諦めるのは癪なので、ゲームオーバーと分かりきっていてもやはりやるしかない。本当どこまでもクソゲーである。

 

 

残酷だよ本当

でも、それでも毎日のご飯は美味しく、好きなことをしている時間は楽しく、暖かいベッドで眠るのは気持ちがいいので、これだけでも悪くないなぁなんて時に思ったりする。毎日これが続くのなら或いは神ゲーなのでは?などと浅い考えを抱いてしまう。そんな妄想を残酷に膨らませずにはいられないところも含めて、やはり人生はクソゲーだ。

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