底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

世界の二面性に対して私が出した答え

どっちも事実

世界はすごく面白くて綺麗だ、と思う。色々に不思議ことがあって、色々な思いで生きている人がいて、美しい景色や芸術がそこら中に溢れている。そんな世界をほんの一瞬だけでも覗けるということ、それ自体がとんでもない奇跡なのだと思う瞬間、同時にそんな呑気なことを思っている自分の軽薄さを嫌悪する。世界はすごく残酷であり無情でもあるということから目を背けていたのだと瞬時に気づくからである。世界には色々な惨劇があり、色々な思いを半ばにやりきれず死んでいった人がいて、目も当てられないような不幸や悲しみがそこら中に溢れている。棚に上げてはいけない事実である。

 

 

記録にした意味

世界のその二面的な部分をどう受け止めればいいのか、私は未だ分からずに決めあぐねている。世界の面白くて綺麗な部分だけを夢中に見つめていられるほどの純粋さや熱量は私にはないし、世界の残酷で無情な部分だけを真剣に見つめていられるほどの強さや正義心も持ち合わせてはいない。今も絶えずその間を揺らいでいるだけである。だから、私は自分の記録なんていう曖昧で好き勝手書ける枠を選んだのかもしれない。記録であれば、態度を決めなくていい、答えを出さなくていい、その時の気分であっちに行ったりこっちに行ったりが許される。

 

 

お節介記事

今まさに大きな悲しみに明け暮れている人、世界の残酷さや無情さに打ちひしがれている人を目の前にして、ほらそれでも世界は面白くて綺麗だよ、なんて私は口が裂けても言えない。そんなのただの戯言にしかならないって、自分でも強く思うからだ。でもきっと何も言わずにいられるほど重厚な人間でもないから、このブログの多くは「〜した方が良くなるかもしれないよ?」系の謎目線なお節介記事となってしまっているのだろう。ここでの「良くなる」はだから、そうしたら世界の面白さや綺麗なところが見えてくるかも?ということなのだと思う。

 

 

よろしくお願い致します

世界をほんのわずか一瞬でも覗けたのなら奇跡だ、と端的にそう思うことができたなら、どんな人生を歩むことになったとしても、それだけで人は幸福であれると思うのだ、と私は言いたい。言いたいけれど、まだ言えない。そんな奇跡など全くどうでもよくなってしまうくらいの大きな不幸が、未だ世界のあちらこちらに落ちているからだ。「どんな人生」の「どんな」の底上げをしていかなくてはいけないのてある。誰に対しても気兼ねなく、奇跡でしょ!?と言えるようになるまで、私は私のできることをし続けたい。即ち、これからも謎目線なお節介記事を多くお届けしていくだろうということ。何卒よろしくお願い致します。

f:id:kabiru8731:20230116031055j:image