底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

対立はいつも白と黒とそれ以外

対立はいつも…

対立とは言葉の定義により二つの立場の違う者どうしの間に起きるものだが、何の対立にしても実は第三の「それ以外」という立場が存在している。如何なる時も常にそれ以外が大多数であり、対立はいつもほんの少しの限られた人々の間でだけ起きている。その大多数が対立の時に問題にならないのは、そもそも対立があるということさえ知らない人、知ってはいてもどちらでもいいなと思っている人、知っているし片方の立場にも既に立っているが争いはくだらないと思う人が、その大雑把な内訳だからである。つまりそれ以外は声をあげないのだ。そのために、両者しかいないように見えるのである。

 

 

世界は三つ巴

それ以外は常に存在しているだけである。存在しているというそのことで対立している人と密かに対立しているのだ。白と黒とそれ以外、世界の構成はいつも三つ巴だ。白の立場に立って黒と争っている人も、黒の立場に立って白と争っている人も、それを忘れがちになるのだと思う。黒だった人が白になっても、白だった人が黒になっても、それ以外はずっとそれ以外であり、世界はむしろそれ以外の人々で回っているのである。ただ静かに存在しているだけなので目立つことがなく、声が大きい人の影に隠れてしまっているに過ぎない。

 

 

大きな対立

そもそも興味関心に引っかからない、興味関心があっても別に声をあげる必要性を感じないので黙っている、というそのことが一種の意思表示である。白の人も黒の人も自分は向かい合っている相手とだけ対立しているのではないと知らなければならない。むしろそれ以外をこそまず考慮に入れる必要がある。なぜなら、向かい合っている相手は少なくとも「その問題は白黒つけるべきだ」という自分との共通認識を持っているが、それ以外はまずそこにさえ来てくれてはいないからである。向かい合っている相手とは比べ物にならない程大きな対立がそこには存在しているのだ。

 

 

まずやるべきこと

結論だけが違う相手とは、つまり土俵は同じということである。その中で戦って結果的に勝利をもぎとったとしても、それ以外との対立は依然存在しているのだ。対立をなくそうというのなら、土俵を広げ、そこに上がって来てくれる人を増やす方が、まずやるべきことなのではないだろうか。興味関心を促し、声をあげたくなるような環境を創りあげる。何よりもまず同じ問題意識を持ってくれるのでなければ、始まるものも始まらないのである。結論の相違はその後にこそ問題になるが、そんなのはもはや些事に過ぎない。世界の誰しもが同じ熱意でそれについて議論できる時、ことは既に解決されていると言ってもいいからだ。

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