底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

過程と結果について

1

知識を蓄えるのが好きと博識になりたいという二つのことは全然違う。前者にとって博識になることは知識を蓄えたその結果に過ぎず目的ではないが、後者にとっては目的そのものであり、むしろ知識を蓄えることがその手段の一つに過ぎない。知識を蓄えるのが好きな人はこの世に自分の知らない知識がまだまだ無限に存在していることを望んでいる。そうでなければ、いずれ知識を蓄える活動には終わりが来てしまうからだ。博識になりたい人はその逆で一刻も早くこの世から知らない知識がなくなることを願っている。なぜなら知らない知識が一つもない状態こそが真に博識であるというそのことだからだ。

 

 

2

この二つの違いは世の中の至る所で垣間見ることできる。例えば自分の正義を掲げる人にも、永遠に他の正義よりも自分の正義が正しいと証明し続けたいタイプと、真にその正義が世の中に浸透することを願うタイプがいる。前者はその意味で決して自分の正義が実現されることは願っていないし、後者が時たま人と争うのは実現の必要に応じてそうしているだけだと言える。生き方も同じで、そこにはとにかく進歩や成長がしたいという人と、とにかく最も「よい」自分になりたいのだという人のような対比が存在している。前者は毎日大きくなっていく自分に喜びを感じるタイプで、後者は毎日目標まで遠すぎることに絶望しながら、それでも地道に一歩ずつ歩みを進めるタイプに違いない。

 

 

3

前者は自分がどこに向かっているのかを知らないし興味もない。後者はそれをよく知っていてかつそこしかそもそも見つめてはいない。前者にとっては過程こそが全てであり、後者にとっては結果こそが全てである。前者はこれが一生終わらなければいいと思っていて、後者は一刻も早く終わればいいと思っている。こうも対立しているのに、二人を傍から見たらきっとすごく似たものになる。本質は見かけでは全然分からないのである。

 

 

4

現実ではこの二つはキッパリ綺麗に分かれているわけではない。どんな人でも多かれ少なかれどちらの要素も兼ね備えているはずだ。過程を楽しんだり、結果に絶望したり、時にまだまだまだやれることがたくさんあるな!と光明を見出したり、時に全くやることを終わらせられないや…と酷く憂鬱な気分になったり。どんな物事に挑む時でも常にこの二面性の傾向を自分の内に抱えることになる。できれば両方のメリットだけを上手く抽出したいものだ。結果から逆算して、今のやるべきことを割り出し、それを楽しみながら全力で行う。実現できたら最強だな。

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