底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

勘違いをできるだけ減らすには

勘違いは必ず起きる

勘違いというのは、人と人が関わる以上避けられないようなトラブルだ。何かを伝えることはそれだけ人にとって難しくミスが発生しやすい。送り手がわざと相手を騙すような言い方をしていなくとも、受け手が悪意的に捻じ曲げた解釈の仕方をしていなくとも、勘違いは依然起こる時には起きてしまう。これはしかし酷くもったいないことであろう。どちらも意志としてはきちんと伝え、きちんと受け取ろうとしたはずなのに。だから、できるだけ減らしていくにはどうしたらいいのだろうかと考えてみたい。




勘違いを減らすには

勘違いは必ず受け手がするものである。その意味では受け手が特に注意する必要があると思う。相手の言葉を言葉通りに受け取り、意味が不明瞭な点は確認するか、無理なら全てを可能性のまま残しておく。自分の感覚に頼った憶測で結論を出すということはできる限りにおいて避ける。とにかく送り手の伝え方がどれだけ曖昧だったとしても、受け手がそこから勝手に意味を一つに絞って解釈さえしなければ勘違いが起きる可能性はぐっと減るのである。もちろんだからといって送り手の態度も重要でないわけではない。言葉を正確に明瞭にしておく、きちんと伝わっているかを受け手に確認する。そうすれば更に勘違いの可能性は減っていくに違いない。




勘違いしないが最重要

確認する作業は無粋だという風潮が世の中にはあるのかもしれない。時に何度も確認するとウザったく思われたり、一回で分からないなんて馬鹿だなと言われたり、そんなに伝わらないならもういい!なんて相手を怒らせたりすることもあるのだろう。だが、はっきり言ってしまえば、そうなったとしても、勘違いを勘違いのままに飲み込んでしまうよりかは何倍もマシである。確認する作業はお互いのためだ。怠れば双方とも困ったことになる。勘違いを元に行動してしまえば、ウザったく思われたり馬鹿にされたり怒らせたりするだけでは済まず、そこにプラスして実害が発生する可能性だってあるのだ。




対策するしかない

勘違いはなければないほどよいというのは全人類共通の認識であるはずだ。意図的に相手に勘違いさせたい場合だって、狙った通りに勘違いして貰わなければならないのだから、他の勘違いを起こしてもらっては、やはり困ることになる。以心伝心など不可能な人間にとって、勘違いは必然的に起こるものだと言える。だから無くしていきたいのなら、できるだけ意識して限りなく対策をするという方向で努力を行っていく他ない。伝わってるだろうなと慢心せず、きっとこういう意味だなと決め込まない。送り手である時も受け手である時もぜひ細心の注意を払っていきたい。