底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

したいからするへの集約

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「しないと生きていけないからする」と「したいからする」の違いは、当然それをしなくても生きていけるかどうかだ。でも、本当にそれをしないと生きていけないということはたぶん人生においてあまりない。食べたり、飲んだり、眠ったり、人間の生を支えているのは、だいたいそれくらいだろう。あとの「しないと生きていけない」はつまり、しないと「理想の自分として」生きていけない」とか、しないと生きていけない「くらいに好きだ」とか、所詮はそんな意味である。それをしなければ、せいぜい自分が少し苦しむというくらいで、直接的に死んでしまうなんてことはない。




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だから「しないと生きていけないからする」と「したいからする」の間にある本当の差は、しないと生きていけないと思い込んでいるか否か、だ。そもそも「しないと生きていけない」というのは、あることをする理由にはなり得ない。生きるか死ぬかさえ、人にとっては自由だからである。しないと生きていけないからするというのは、言い換えれば、生きたいのでそれをする、でしかない。つまりは生きたいから生きている、をそのまま叶えているわけである。




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「しないと生きていけないからする」とは、とどのつまり、しなければ生きていく「意味」がないに尽きるのだと思う。理想の自分になれない人生なんて意味がない。好きなことをしない人生なんて意味がない。だから、する必要がある。しかし、その「必要」は、結局自分の有意味な人生を送りたいという願いを叶えるための必要に過ぎない。自分の願望を超えて、先に必要性が来ることは決してないのだ。




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必要性を人生の軸に置くのは、偏に事実に根差していないので、多くは失敗の道を辿るだろう。それは自分の願望を自覚していない状況なのだ。願望を実現させるためにこそ必要性がある。生きていたいから、有意味な人生を送りたいから、何かをしなければならないという話になるのであって、ただ手放しに何かをしなければならないということは絶対に有り得ない。だからまずは自分の願望がどこにあるのかをきちんと知った方がいい。しなければならないはその後での話だ。まずは全てを「したいからする」に戻す。




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したいからする!これから、少しずつこのブログもその姿に変わっていくだろう。必要性から卒業し、全てを自分の願望として受け入れていくのにまだ時間はかかるかもしれないが、毎日確実にそこへと近づいているのは間違いない。今から自分の成長が楽しみでならない。早くその日を迎えたい気持ちでいっぱいである。