底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

約束を守ることは大事という当たり前

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約束というものを人はとても重んじる。約束とは記憶に直結するものだからだ。記憶とは人のアイデンティティの根幹である。顔や背格好や性格や言葉遣いや振る舞いなんてものとは比べ物にならない遥か中心で自分のことを支えている。他のものと違って、記憶が変わってしまえば、それだけで自分は消滅する可能性だってある。約束を守る行為はその大事な大事な記憶が繋がっていることの証明になる。記憶が繋がっているとは即ち、自分は今も変わらずに自分であるということ。約束がきちんと守られることによって初めてそれが分かる。だから約束はとても重いのだ。

 

 

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約束を守る行為が、自分は以前の自分と同一であると相手に知らせて安心させることなら、反対の約束を破る行為は当然その放棄を意味している。普通の言葉で言えば裏切りである。もう相手に何と認識されようがどうでもいい、どう思われようと構わない、約束を破れば、そんなところまで含意されてしまう。それくらい重大なことなのである。だからこそ破られた側は酷く不快になり、同時に悲しくもなる。自分は相手からそれくらい軽く見られているか、或いはもう縁を切る覚悟をされているか、答えは必ずそのどちらかであるからだ。

 

 

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しかし、自分の立場から自己中心的に考えれば、約束を守る行為は時々苦しみになり得る。自分の未来のことは自分でもちゃんと把握できるものではないから、その時には約束したことをすごくやりたくない気分になっていたりするかもしれない。或いは単純に守らなきゃいけないという観念的な重荷を約束の日まで背負うのもしんどいことである。ストレスという他ない。それでもいい、それでも自分は自分であるということをきちんと知ってもらいたい。約束をする相手はだから必然的に、自分にとってそういう価値のある人だけになっていくだろう。

 

 

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何度もそのストレスを乗り越えて約束を守ることで、そこに相手との信頼関係が成り立つ。お互いにきちんと相手に尊重されているのだとよく分かるからだ。この信頼関係が成り立ってやっと人は相手のことも心の底から思いやれるようになる。約束にも固執しなくなって、破られたとしても、それを裏切りとは捉えずに、相手には相手の事情があると考えられるようになる。しかし、そこまで行くのは難しいと思う。もし人生の中で誰か一人とでもそんな深い信頼関係を築くことができたのなら、端的に奇跡である。それはお互いに幾度となく誠実に約束を守っていった先で、やっと叶えられることだからだ。

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