底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分のことはそれなりに好き

自分を大切に

自分のことはそれなりに好きだ。もうこの人生で終わってもいいなと思えるくらいには今の自分を気に入っている。自分を好きになったきっかけは全く覚えていないけれど、好きなところなら色々挙げることができる。その中でも一番は、自分のことを大切にできる点だ。まぁ大事にするしかできない点とも言うけれど。自分を大切にするやり方は人によって全然違うと思うけれど、私の場合はとにかく気分に従って生きること、そして暇さえあれば自分を考えることである。

 

 

気分

気分ほど大事なものはないと私は思う。気分に逆らわなければいけない、そういう瞬間が人生そのものを辛いものに変えてしまう。なぜなら、気分とは必ず「今」生じるものだからだ。まさに今自分の中に生じているもの、それをそのまま外に表わすことができる。幸せとはそういう状態を意味するのではないかと思う。少なくとも私にとってはそうである。過去の自分も未来の自分も他人も何かも全て捨ておいて、ただ今ある気分だけに従って人生の舵をとっていく。楽しさは一級品だ。

 

 

自分を考える

もう一つ自分を大切にする方法の自分を考えることは、つまりその気分を純化させ、人生本来の楽しさを取り戻すために行われている。気分は酷く濁りやすい性質のものだ。過去からのしがらみ、未来を思っての不安、他人の思惑の心配、常識や強迫観念といったものに簡単に影響されて、本来の透明さを失ってしまう。自分を考えることそれらを取り除いくのにとても有効的だ。考えれば考えていくほど何が本来の気分にはない混ぜられていたものなのかを知っていけるのである。

 

 

自分が好き≒人生が楽しい

もうお気づきかもしれないが、私が私を好きな理由はずばり今生きていて楽しいからだ。生きていて楽しいから自分が好きだし、自分が好きだからもっと生きていることが楽しくなるという完全に良いループの中に身を置いているのである。自分を好きと人生が楽しいは紙一重のような同義語なのだと思う。人生が楽しいのに自分を全く好きじゃないって人、或いは自分を全く好きじゃないけど人生が楽しいって人はいないんじゃないかな。知らんけど。

 

 

おやすみなさい

結局私の経験論では自分を好きになりたけりゃ楽しい人生を送るに限るとかいう小学生みたいなセリフになっちゃうんだな。人生の大事なものは案外そういう単純な答えで成り立っているのかもしれない。知らんけど。気分でテキトーに書いております。もうそろそろこの辺で終わりにしよう。眠りたい気分がさっきからチラチラ顔を覗かせているので。はい。おやすみなさい。

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