底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

事実はどうにもならない

1

事実というのは目を背ければ、ひたむきに隠し続ければ、そのうち勝手に消えてなくなるようなものではない。そうだと認めなければ、そうだと見なさなければ、いずれ勝手に形が変わっていくようなものでもない。事実はいつも厳然と存在している。目を背けようとひたむきに隠そうと認めなかろうと見なさなかろうと、ただそこにありのままに存在している。だが人間は人間である。誰にだって一つや二つ、或いはもっとたくさんの受け入れ難い事実があるだろう。時には受け入れるくらいなら死んだ方がマシだとさえ思うような、そんな事実もあるに違いない。さてでは実際にそのような事実を目の前にした時、我々の取れる態度、取るべき態度とはどんなものであろうか。

 

 

2

いやいや取るべき態度など決まっているではないか。「べき」なのだから、最初から乗り越える一択しかないだろう。事実である以上、それはどうにもならない。どうにもならないのだから、受け入れて乗り越えていくしかないじゃない。………綺麗事!!!それができたら誰も苦労しないんだよ。できないから目を背けたり、ひたむきに隠したり、そうだと認めないように見なさないようにしてるんじゃ。

 

 

3

消したりできない形も変えられない、だけど乗り越えることもできないとしたら、あとはどんな道が残されているのか。うーん、たぶんもうどんな道も残されてはいないのだと思う。どうにもできないのだ。どうにもできないその状態と付き合いながら生きていくしかないのではないだろうか。考えないようにするために他の物事に精を出したり、誤魔化しに誤魔化しを重ねて、とにかくその事実に精神をやられないようにすることだけに注力していく。要するに目を背けたりひたむきに隠したり、そうだと認めずそうだと見なさないように生きていくのである。

 

 

4

とにかく、乗り越えようとする以外の対処をしようとしてはいけないと思う。最悪なのは、事実に自分が正しいと言えるような解釈をつけて、正義を主張していくことである。この事実を生み出した元凶を求めて、そいつを悪と見なして憎んでいく、誰も救われない手段である。事実には悪もクソもない。あくまで解釈が悪を産んでいるのだ。そして、その解釈を選んだのは他でもない自分自身なのだから。自分以外を憎むのは端的に筋違いであろう。事実はどうにもならない。受け入れられないのなら受け入れられないままで前に進むしかない。それが嫌なら少しずつでも受け入れられるように、噛み砕いていく。結局はその二択だけ。

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