底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

今の自分に満足することと上を目指して変化していくことは両立できる?

どちらかしか選べない?

今の自分に対して満足することと、もっと上を目指して変化していくという二つのことは、両立可能な事態だろうか。感覚的にはどうも無理そう。満足しているならもう変化したいとは望まないはずだし、変化したいと望むのはつまり今に満足していないからだと、そう思えてならないからだ。満足と変化したいという欲求はどうしたって相容れないだろう。どうしたって片方を選ぶしかないのではないか。しかし、そうであるならどちらを選ぶべきなのか。そして、それは一体何を手がかりにして決めていけばいいのだろうか。

 

 

変化と不変

今という時間は、常に進んでいる。今!と叫んだ次の瞬間、それはもう過去のものとなっている。今は絶えずその中身を変容させていくのである。その意味で今に満足することは、その絶えず変わっていく今に順応し続け、その度に満足を覚えていくことだと言える。つまり今に満足するといっても、それは自分が変化しないこととイコールではないのである。満足し続けたいのであれば、こちらも今に合わせて努力という名の変化をしていかなくてはならない。意識的に上を目指していなくとも、そこは同じなのである。逆に上を目指す方は常に変化をしていくのだから、その意味では常に変化をしていくそのところだけはずっと不変的だと言える。

 

 

両立というか同じ

よって感覚的な結論は間違いである。常に今の自分に満足するためにこそ人は変化していかなくてはいけないのだし、上を目指して変化していくのだとしても、その唯一不変的なところに満足を覚えることは十分可能である。だからどちらかしか選べないなんてことはないのだし、二つの事態は全く両立していけるのだ。というより元々両立して存在しているのである。結局二つはただ同じことの違う言い回しであったというだけだ。今に満足するためには常に上を目指して変化していかなくてはいけないし、上を目指して変化するのはいつか来る「今」に満足するためであるのだから。

 

 

不満を抱える自分に満足している

私は死ぬ時の「今」に照準を合わせて、満足を覚えていきたい。いつ死ぬか分からない人生にとって、つまりそれはいつ何時も常に満足を覚えたいという意味になる。どうしたらそれができるだろうといつも考える。だが実はそんなことを考えているまさにその瞬間、私は既に満足しているのである。死について真剣に考えている自分に対して。貪欲に本気で死を解決しようと目論んでいる自分が可愛くて仕方ないのだ。そんな、絶えず上を目指して変化していこうとしている自分に大変な満足を覚えるのである。

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