底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

死をどうしたらいい

死ぬまでに何がしたい?

死ぬまでに自分が何をしたいか、いつも考える。ラーメン食べたい!のような衝動的なしたいことは割りかしすぐ出てくる。気になっているアニメが見たいとか、あの本を読んでおきたいとか、そういうのはすぐ出てくるくせに、信念のような、自分の理想であるようなものは、ちっとも浮かんでこない。どんな姿で死にたいのか、実際のところやはりよく分かっていないのだと思う。だって欲を言ってしまえば、結局死にたくない。死にたくないから、どんな姿で死にたいかなんて問われても全然ピンとこない。だがそれでも死は必ずくる。そのことはちゃんと分かっている。分かっているつもりだ。

 

 

こんな自分だけど気に入ってるの

死への分からないは、つまるところ生の分からないでもある。私は自分がどう生きていきたいのか、それさえも分からないのだ。ただずっと死にたくない、生きていきたいと思うだけである。何が私にそう思わせるのか、これはよく分かっている。私は今の自分をすごく気に入っているから。だから死がどんなものであれ、それを受け入れる理由が全くない。そのために、強いて言うなら、死を無視できるような生き方をしていきたいと思う。死を全く顧みず、気がついた時にはもう死んでいるくらいの軽さで死を捉えていくのが理想だ。まあ死んでたらもう気がつけませんけども。

 

 

どっちがどっち

しかし、その生き方を叶えようとすれば、私はその理想とは裏腹に、死をとことん意識しなきゃならない。死を無視できる状態とは即ち、いつ死んでもいいと言える状態だから。常に死を意識しながら悔いを残さないようにといつもいつも自分に言い聞かせた先にこそ、死を無視できる可能性が開かれる。けれども、死を無視するために死をとことん意識するというその矛盾に、時々自分を引き裂かれそうになる。対極な二つをずっと自分の中で飼い続けていると、だんだんどっちがどっちであるのかはっきり分からなくなってくるのである。

 

 

美味しいラーメン屋さん誰か教えてください

私は一体死を無視したいのか意識したいのか。もはや自分にも分からない。無視したかったはずだ。無視したいからこそ、それを叶えるために意識していたのだから。いやしかし、無視したいという割に、毎日ずっと意識する方しかやっていないじゃない。無視したいなら、普通に最初から全部無視するって手もあったでしょ。悔いが残ろうと何が残ろうと、それさえも端的に無視してしまえば簡単に叶えられたはずよ、そうはしないということはつまり、自分自身死を意識したいんだよ。…なんてのが延々と頭の中で繰り広げられる。あ〜あやってらんねぇ。ラーメンでも食べに行こうかな。

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