底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

常識はかつて常識ではなかった

生活がよりよくなるサイクル

時代を通して人の生活がよりよくなっていくサイクルには、何かが問題視される→徐々に改善される→改善されている状態が当たり前になる、というのがあると思う。皆が今まで何の疑いもなく当然のように常識として受け止めていた物事から、誰かが問題を掘り起こし、その問題意識がだんだんと広まって、やがて常識そのものがアップデートされる。常識がアップデートされた以降に生まれた人々にとって、それは単なる常識である。が、まさに常識がアップデートされる過程に生きた人々にとっては、きっと戦いの連続だったに違いない。周りとの戦いはもちろんのこと、意識に刷り込まれた常識を改めるのだから自分自身とも散々戦ったに決まっている。「そんなの人として当たり前だろ」と今私達が思っている多くは、先人たちのその必死な闘争の上に成り立っているのである。

 

 

常識が完成されるまで

綺麗事と言われたり、気にしすぎだよと言われたり、今までずっとこうして生きてきたのに、正義ぶりやがって、何様だよ。そんな数々の逆風の中で、流されずに自制もしていく。並大抵には無理である。それでも叶えたい未来がある、自分が間違っていると思うことは絶対にしたくない、そういう強い信念がある人だけが成せる技なのだろう。やがて、その強い信念を生きる姿に感化される人々が現れる。信念が理念に変わる瞬間だ。「確かにそうするべきだ」と思う人がだんだんと集まって、ついにはそうすると多くから賞賛される社会がやってくる。ここから一気に加速し、価値観の輪はみるみる広がっていく。そうして最後の最後に「そうするのが人として当たり前」に変わって、やっと常識として完成に至るのである。

 

 

想像できないのはいいことだけど、忘れるべきじゃない

人として当たり前が完成された後に生まれた人にはその過程の大変さは想像できない。でもこれはいいことである。想像できないくらいに当たり前になっているということなのだから。しかし想像できなくとも、かつて当たり前でなかった時代があったのは忘れるべきではないと思う。ずっと当たり前だったんじゃない。数々の人の思いや行動が、それを当たり前にしたのだ。私達の今の生活は、その歴史の変遷に助けられてこそあるのだ。

 

 

変わると信じている

今の時代を生きる人にも、それが人として正しいと思うのに常識にはなっていないことがたくさんあると思う。常識になっていない故に苦しんでいる人もたくさんいると思う。気づいた人が声をあげていくしかない。現実は少しずつ少しずつしか変えられないけれど、決して変わらないわけではない。いつか絶対にその信念が理念になり常識とされる瞬間がやってくる。少なくとも私はそう信じているから、書き続ける。

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