底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

近況雑談記事

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眠いので今日も今日とて緩く書いていこうかな。この頃、記事の緩急が結構くっきり分かれている気がする。なんというか、頑張る記事と頑張らない記事の線引きが上手くできるようになった感じ。頑張らない日はとことん頑張らないかわりに、頑張る日には最高の記事を仕上げる。そういう風に上手く波に乗れていると思う。たぶん。きっと。おそらく。前はもっと根を詰めて書いていたから、上手くいかない日の自分なんか本当に大嫌いだったけど、最近は全然そんなこと思わなくなった。どんな文章であれ、正直であることこそが一番大事なのだと改めて思ったのである。

 

 

2

正直になると自分の矮小さや卑劣さ、醜さがよく見えるようになる。以前の私はそれらを隠す傾向にあった。隠せる時は隠して、隠しきれない時でも文章に自己批判的な視点を添えて公開していた。自覚は済んでいますよ、というアピールのつもりだったのだと思う。今考えるとちょっと、いやかなりダサいですよね。自覚済みならさっさと治せよという話なので。最近は、そういう自分は確かにいるのだから、隠したところで仕方がないと思うようになった。だから、もっと赤裸々に書いてもいいんだと開き直っている。

 

 

3

開き直ったおかげで、自分的には最近のブログはとても好調である。前みたいな重みをブログから感じることもなくなった。今日は頑張れない日!無理!というサインを送ると、すぐさま、よし、じゃあ今日は緩く書くか、なんて吐き口を用意してくれるので、自己嫌悪に陥いる隙もない。本当超助かっている。自分を許す、自分を認める、やはりその先にしか自分の道は無いんだなあと改めて感じた。まぁ自分を叱責したり、自分を嫌悪するのも、結局はそうして自分に厳しくしている時だけは存在を許される気がするからだから、これはいわば最初から当たり前の話であった。

 

 

4

というわけで、最近は緩い記事とそうでない記事をタイトルから分かりやすく区別したいなと考えている。今までは緩い記事に、緩いとか雑談とかの言葉をそのままタイトルに入れる形で区別していたけど、これからたぶんこういう記事はもっと増えていくだろうから、ここら辺で決まったフォーマットを作りたいな。何がいいかな。しかし、このブログの趣旨である記録の観点から言えば、むしろこういう赤裸々に近況を報告している記事こそが本筋なのかもしれない。だとすると、いつも書いている思考雑記の方こそが番外編なわけだ。うーん、そうなると一体どちらが区分けされるべきなのか結構悩ましいな。しばらく考えてみますわ。

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