底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

近況雑談記事#2〜意志について〜

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あん、だめだめ死ぬほどやる気がないわ。一日休んだら治るかなって思ってたけどダメだった。このブログは全て天啓頼りだから、何か降ってきてくれないと書くものがないわ。二日連続で休むのは気が引けるなっていうことだけが今、私の指を動かしている。さて、何を書こうかしらね。近況雑談はしたばっかりで、特に付け加えることもないし困ったな。まぁとりあえず思いつくまま書いていくか。

 

 

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……だめだ、何も出てこねえ。本当に書くことがないらしい。仕方ない。最近の何の結論も特に出ていないただの思考テーマでも羅列するか。この頃はもっぱら意志というものを考えている。例えば、 電車でいかにも立っているのが辛そうな人に席を譲るため、私はその人に声をかけたとしよう。が、自分の思いとは裏腹に「声かけないで迷惑」と言われてしまった。この時、私はきっと心の中で悪態をつく。なんだよ、辛そうに見えたから譲ろうとしただけなのに、そんなに言わなくてもいいだろ。きっと、そう思う。そして、こんなことを言われるのなら譲ろうとしなければ良かったと後悔の念さえも抱くだろう。このことから分かるのは、私はただ席を譲ろうとして声をかけたのではないということ。そこには、その人のためになれば、との思いも一緒にあった。結果としてその思いが裏切られた。だから、私は心の中で文句を言わずにいられなかった。つまり席を譲ろうとしたのは私の意志などではなく、ただその人を見て抱いた自身の思いに「反応」した結果に過ぎない。

 

 

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もし、それがきちんと私の意志による行為であったなら、迷惑と言われたところで、そう思う人もいるよねくらいに思い止められるはずだ。客観的に考えるなら、席を譲ろうとしたのは完全に自分のエゴであるのだから。それなのに、そうは思えない。なぜなら、それは「反応」だったから。反応には選択肢がない。だから、私は思い通りの結果でなかったことを相手のせいにしているのだ。自分だって反応せざるを得なかっただけなのに、そんなに言わなくてもいいだろと思うわけである。

 

 

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意志したことには理由があってはならない。もし理由があるからこそ、それをするのであれば、それは反応であって、意志ではない。理由がないとは、そうすることによって得たいものが何もない状態である。つまりは何のためでもなく、ただそれをする。意志とはそんなものでなければならないのだ。とてもじゃないが人間に持てるような代物とは思えない。

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