底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ルールは現実を上手くやっていくためにある

ルールはなぜ作られるのか

ルールというのは基本的に作った側にメリットがあるようになっているはずだ。でなければ、端的につくる意味などないのだから。ルールに従ってもらうことで、集団の活動が円滑に進み、作った側のメリットを実現しやすくなる。だいたいのルールはこのためにあると思う。だが、綿密にきちんとルールを作りさえすれば、それで望んだメリットが実現されるかと言えば、そんなことはない。ちゃんとした作りのルールがあっても、ルールがその通りに守られるかどうかは従う側にかかっているからだ。作る側はここら辺も考慮に入れなきゃならない。「それがルールだから」とただ一方的に押し付けるのでは、多くの場合に上手くいくのは難しい。

 

 

古いやり方

簡単に言ってしまえば、ルールにはそれに従う方にもメリットを用意しなければならないということ。これはルールを作り、それを遵守させたい側が考えるべき課題である。メリットを用意せずにルールを守れと言い、それを守らなければルールを破った奴が悪いとして叱責する構図は酷いものである。確かにそうしておけば、見せしめになって、メリットを用意しないでも、強制力が働いて、従う方はただ従わざるを得なくなる場合があるだろう。でもそんなのは、その集団の外にいくらでも生きていく選択肢が広がっている現代にはもう時代遅れである。だんだんと自然淘汰されていくに違いない。

 

 

ルールは常に変動する

ルールは集団が基準なので、だいたいが大雑把である。個々のケースに細かく対応はしていない。実例が起きてから、修正が加えられ、改善が施されていく。ルールは常にその積み重ねの途中にある。永劫変わらない絶対的なものは何もない。そのため、ルールだからと思考停止して、盲目的になるのはよくない。作る側と従う側、片方にでもメリットがない現状があるのなら、ルールは直ちに修正されるべきである。その歪みを放っておけば、いずれ集団それ自体がおかしな方向に大きく傾くことになる。

 

 

ルールを守るのは大事だけどね

過信してはいけないということ。ルールを守っているから絶対に大丈夫とか、どんな時も絶対にルールを破ってはいけないとか、そう頭を固くしてしまったら、端的に失敗を招いてしまう。ルールはルールでもルールは現実を上手くやっていくためにあるのだから、本末転倒になってしまう場合は、その限りではないのである。ルールの絶対性を信じれば、作った側にとっては都合がいいし、従う方も考えなくて済むという意味で楽であろう。だが、それは必ず無駄に余計に適用されてしまうケースを多く生むことになる。時代や個々の状況に即していない時にまで、適用を強いられるので、歪みができたり、ますますその被害を拡大してしまうのである。ルールを守ることは確かに大事だ。でもそのルールを守ることで何がどうなるのかも、同時によく考えられるべきである。

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