底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

お互いに努力をしてこそ正常に機能する言葉

1

「気持ちだけで嬉しいよ」という言葉がある。これは本当に難しい言葉だ。なぜなら、本当に気持ち「だけ」であるなら、およそ、その気持ちを感じとることは本人以外、誰にもできないからである。気持ちを相手に感じさせるためには、それに伴った行動が必要になる。「気持ちだけ」という言葉には、いつもその「だけ」に排除される何ものかが既に含まれていなければならないのである。つまりは、相手に「気持ちだけ」と言われるためにこそ、必ず気持ちだけではいけない。気持ちだけでなく、気持ちに伴った行動をしようとしたが、それがうまくいかなかった時に、やっと「気持ちだけ」という言葉が正常に機能するのである。大丈夫、それをしようとしてくれただけで嬉しいよ。気持ちは十分に伝わってるよ。そういう意味の言葉だ。気持ちを伝えようとする側が誠心誠意であり、気持ちを受け取る側が虚心坦懐である場合に限って、それは成立するのである。

 

 

2

する側とされる側がお互いに清らかで思いやりに溢れていなければ成立しない言葉が、この世にはたくさんある。「お礼なんていいのよ」「居てくれるだけで十分」「私は何もしてないよ」「全然大丈夫」「私がしたくてしたまでよ」これらの言葉はある意味で、全て真に受けてはいけない。真に受けず、相手が自分を気遣かってそう言ってくれているだけなのだと解釈し続ける謙遜心がなければならないのである。

 

 

3

本当にそうであるなら、相手はまずそれを口にする必要さえないのだ。だから、わざわざ口にすることの意味を考えねばならない。本当はそうではないのだけど、そうではないという事実があまりにあけすけで優しくないので、自分のためを思って隠蔽し、本当を塗り替えようとしてくれているのだ。その努力に目を向け、敬意を払い感謝し続ける。良好な関係とは常にそのようにして築かれ、持続される。

 

 

4

相手が言ってくれたその言葉が嘘にならないように、こちらも努力をする。お礼なんて本当にいいのよと思わせるくらいにお礼をきちっとして、本当に居てくれるだけで十分と思われるくらいに自分が居ることのメリットを相手に与え、本当に何もしてないのよと思って貰えるように恩を返し、本当に全然大丈夫だと思ってくれるようにちゃんと償いをし、本当に相手がしたかっただけなのだと心から思えるように、より良い関係をつくりあげる。する側は本当を隠蔽し塗り替えようと努力し続け、してもらう側はその塗り替えられたものを本当にしていくという努力をし続ける。そのようにしてのみ、それらの言葉は真に輝くのである。

f:id:kabiru8731:20231031220943j:image