底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分のことは自分で言葉にする

回りくどいと思う

他人よりは自分のことの方がまだ分かる。だから自分のことに、より精力をかけるべきだと個人的には感じる。誰しもがそうすれば、世の中は今よりもう少し生きやすくなるんじゃなかろうか。要するに自分がどうして欲しくて、どうして欲しくないのか、そういうのをみんながみんな空気などを通してお互いに推理し合うのではなく、みんながみんな自分の口で言えるようになった方が簡単で分かりやすい、と思うのである。自分のことは他人より自分の方が分かるのだから、他人のことは自分より他人の方が分かるのだから。自分のことを他人に当てさせて、他人のことを自分が当てる、なんて回りくどいやり方をする意味はないはずだろう。

 

 

慎ましいというか甘えているというか

自分の言っていることとして欲しいことがズレている人も案外多いように感じる。本当にして欲しいことは直接口にしないで、口にした言葉からやはり他人に自分の本当にして欲しいことを察してもらいたいようである。察してもらえると、自分が大切にされていると思えるからだろうか。口にしないで通じ合えるというのは、それだけ人にとって価値のあることなのかもしれない。しかし、そういうのはぜひある程度仲のいい気心知れた者同士でやって貰いたいものだ。他人同士は言葉にしないと分からないことの方が、やはり圧倒的に多いのだから。

 

 

自分を大切にするって

自分のことをよく知っていて、それをいつでも言語化する用意がある。自分を大切にするというのは、そういうことなのではないか。自分と他人を繋ぐ橋は究極的には言葉しかないのだから、いつでも言葉で正確に自分を示せるというのはとても大事なことであろう。他人に自分を大切にして欲しいなら、どう扱って欲しいのかを言葉にして伝える。当たり前のことではないだろうか。

 

 

相手がピンチの時以外は察しない活動をしている

その当たり前が当たり前になっていないのは、たぶん世の中には察し能力の高い人がそれなりにいるからだろう。察せてしまうからつい相手に聞かずに先回りしてやってしまう。相手にも同じだけの察し能力があれば、察してやってくれたんだと気づいてくれるが、もしなければ、「これ言わなくてもやってくれるのか」というおかしな方向に事態は進んでしまう。そうして察せる側が自らに察するのが当たり前になって、関係は一方的なものへと変わっていく。察し能力の高い人はそれなりにいるけれど、やはりそれなりにしかいないのである。先回りするよりも、まずは相手にきちんと言葉にしてもらうのが確実だ。自分のことは自分で言葉にする。ぜひその価値観広まって欲しいな。

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