底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

久しぶりに実家に帰ったので母との話を少々

ウザったいけどありがとお母ちゃん

アラサーにもなると実家に帰る度、いい人はいないのかい?と聞かれるようになる。アハハそのうちね、と誤魔化してきたが、いよいよその手も通じなくなってきた。特にお母ちゃんはどうしても私にそろそろ結婚を考えて欲しいようである。二十六と言えば、世間的には確かにもうそういうお年頃なのだろう。それは大いに分かるのだけど、しかし正直少しウザったい。まず私が結婚したいかどうか知ってる?と聞いてみたい気持ちである。聞いてみたいが聞かないことにしている。なぜなら、その言葉が親の愛よるものであることを、私は身に染みてよく知っているからだ。

 

 

愛だな

きっと母は父と過ごしている毎日が楽しいのだろうと思う。だから、私にもそういう人を見つけて自分と同じように幸せになってもらいたい。そしたら自分が死んだあとも安心できる、とかなのかな。うーん、そこまで考えているかは知りませんが。まぁでもだいたいの方向は当たっていると思う。要するに親として子の私によりよい人生を送って欲しいのは間違いないはずだ。だから、いつも言葉はおおかたスルーして、その気持ちだけを有難く頂戴している。大丈夫、実はもう私結構満足する人生を送れてるよ、なんて思いながら。

 

 

考えることは大事

人が喋っている時、その人が何を話しているかを聞くのと同じくらい、その人がその話をすることでどんな目的を達成したいのかと考えるのも重要なのだと思う。目的だとゲスい感じがしちゃうなら、その言葉にどんな思いが込められているか、と言い換えてもいい。コミュニケーションにおいて大事なのはぶっちゃけそのところが伝わることだけでしょう。言葉はそこにおいてはただの手段であるのだから。おや。昨日の記事とは真逆ではないか?昨日は相手の意図を察しないで、できるだけ言葉にさせるのが良いとか書いてませんでしたっけ。いえいえ、察すると考えるは別なのです。相手がどんなつもりでどんな思いを込めて喋っているのかを考えて知ることは、事態を正確に把握する上でとても大事なことである。その上でこそ察するかどうかの選択ができるのだから。

 

 

困ったな

お母ちゃんは結構頑固な人だから、きっと私が誰かと結婚するまでは安心できないだろうなというのが今のところの唯一の気がかりである。だってこちらにはその予定、全くありませんもの。私今既にいい人生送れてるよってそういうの、どうしたら伝わるのでしょうね。全然分かりません。まぁ伝わらなくとも、私は私の人生を生きるしかありませんが。ともかく次実家に帰るまでには、新しい誤魔化し方を用意しなくちゃなりません。どなたかお知恵を拝借できないでしょうかね…。助けてください。

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