底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

近況雑談記事#4〜新生活が始まったことについて〜

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さぁ新生活の幕開けだ、という意気込みも束の間。死ぬほど疲れました。新生活の準備って別に今までしたことないわけじゃないのに、完全に舐めていた。以前の自分は若かったのだなあと痛感しました。家具の新調や日用品の買い出しであちこち歩き回って足が棒になった。でもものが届くのに時間がかかるので、今はまだ布団一式とカーテンしかない生活である。これからが楽しみだなという気持ちが遥か彼方に飛んでいくくらい、本当に今は疲れでいっぱい。そんな中でこれを書いている。なんとしても新生活一日目は絶対記録しておきたかったので。

 

 

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しかし実のところ、私はこの疲れがなければ新生活を楽しみにしワクワクしていたのだろうかと考えると微妙だと思う。確かに始まるまでは散々楽しみにしていたけれど、いざ始まってしまえば、それはもう「新」生活ではなく、ただの生活だ。私の毎日はそう変わらない。思索をしてブログを書く。どこに行ってもやることは同じ。環境の変化は私にとって、ただ定点から見える風景の違いに過ぎない。私という定点は死ぬまで変わらずにあり続ける。

 

 

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部屋のレイアウトやコーディネートを考えた。こういうセンスが私にはまるでないから、ネットで検索して見てみたが、どれもオシャレすぎて無理!という気持ちになって、速攻で諦めた。使えればいい。結局私はそんな生活しかできないのだろうと思う。身の回りのものに対してそれ以外の基準を持てない。生活の全ては、死が来るその時までの繋ぎに過ぎないから。

 

 

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あー疲れて頭が働かないし、新生活でも特に何も変わらないからこれ以上書くことがないな。いやでも、変わらないはずがないんだけどね。やっぱり私がそういう変化に疎いだけなのだろう。今回は結構離れた距離の引越しだし、もっとその土地の文化とか歴史とか、目につく風景に意味を読み取れたら、ワクワク度は全然違ったのかもしれない。或いは、一つの場所に自分の生活の基盤を徐々に築いていくことへの喜び。或いは今まで自分が持っていたものの断捨離をし、新しく自分に必要なものを選んで買い足すという作業の面白さ。生活の一つ一つの代わり映えにそんな幸せを感じとれたら、きっと人生はすごく充実したものになるに違いない。しかしまぁ、やはり私とは無縁な話だ。私にとって変化と言えるのは、結局自分の生死だけである。自分が死んでいないのなら、全ては同じ、その解像度でしか世界を見ることができない。悲しいかな、私はそれを悲しいことだと思っていない。

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