底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

逃げるは恥でもないし役に立つ

問題を解決するためにこそ一度逃げる

逃げるということは根本的な問題を回避しているだけの一時しのぎに過ぎない。だから逃げるのは正しい選択ではないと思われがちだ。しかしそもそも逃げたいと思うような追い込まれた状況下では頭は上手く働かない。気持ちが切羽詰まっていて、問題を解決するどころの話ではない。耐えることにほとんど全てのエネルギーが使われて、それだけで毎日力尽きてしまう。問題を解決したいのなら、そのためにこそ一度逃げるべきなのだ。距離をとって思考する余裕が生まれてから、きちっと対策を練った後で立ち向かえばいいのである。




逃げることは現実から目を背ける行為ではない

そうは言ってもいざその時になって逃げるのはやはり難しい。一番難しくさせている原因は逃げることに罪悪感がこびり付いているからなのではないかと思う。逃げるのはよくないと思ってしまうために、その場を動くことができない。なぜ逃げることに罪悪感が伴うのか、それは偏に自分は逃げているのだと思うからだろう。つまり逃げることを現実から目を背ける行為だと認識しているせいである。しかしさっきも書いたように、それはそうではない。追い込まれた状況にいるのなら、一旦逃げることでこそ再び現実に向き合える。それにこの世には自分を犠牲にしてまで向き合うべき現実などそもそもないのである。
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向き合わなくていい現実はとても多い

自分の嫌いなもの、怖いと思うもの、したくないこと。それらは克服しなければならないものではない。もちろん必要に応じてそうせざるを得ない時はあるかもしれないが、克服すべきだなんてことは全然ない。克服しないで生きていけるのなら、その道を迷わず選ぶべきだ。それらを克服した先に自分の目指すゴールがあるならいい。ないのなら全く必要のないことである。克服しないことは逃げているのではない。必要ないことを省くただの合理的判断である。




思いは一旦しまう

逃げると弱虫だと思われる。自分は何も悪いことをしていないのだから逃げたくない。逃げた自分を好きになれない。そういう思いは一旦仕舞っておいた方が良い。現実をきちんと見つめるなら、確実にそんなことを言っている場合ではないからだ。逃げたいと思うような状況にい続けて、何かが改善するということは基本的にないのである。一旦そこから脱出して、それに向き合うのは本当に必要なことなのか、必要ならどうすればなるべく自分を傷つけずに向き合っていけるのか、と考えるのが「本当に」現実に向き合うことなのだ。逃げられるのなら逃げる、それは生物としての当たり前であろう。人間も当然その例外ではない。