底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

不安とは仲良くしよう

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漠然とした不安というのが人生にはある。何が原因かはっきりとは言えない、言えないのだけれどとにかく不安でたまらないという状態のことだ。この不安はもちろん容易にはとり除けない。いやそもそも根源的に取り除くのは無理だとさえ言える。なぜならその漠然とした不安は、生き物の宿命、即ち死に関する不安だからだ。

 

 

2

不安とはつまり、何がどうなるのか分からない、最悪の最悪どこまで転がり落ちるのか、谷の底が見えず、それに事前に備えておくことができない、先の見通しが立たない状況のことだ。だから、今自分が何をすべきなのかも分からない。これをするのも、あれをするのも、もしかしたら、その最悪の最悪に転げ落ちてしまうきっかけになってしまうのではないか。全ての選択肢が疑わしく思え、何もできずにその場に立ちすくむ。

 

 

3

人の死はざっくり言って二つある。自分という人格の持つ尊厳の死と、身体的に腐敗していく物理的な死だ。尊厳の死とは自分が自分であると本人が思えるために必要な自身の本質が死んでいくことだが、この本質を「自分のことは自分でできる」ということに置いている人はとても多い。そして、この時代で言えばそれは「自分の生きていく上で必要なお金を自分自身で稼げる」ということに等しいだろう。現代の漠然とした不安とは、ほとんどがここから湧き出ているのではないかと思う。

 

 

4

テツガクをしている身から言いたいのは、尊厳の死とはなんぞや、自分の人格とは如何なるものなのか。もっと自分という存在をしかと考えよ、であるが、誰もこんな答えを求めていないのは分かっている。

 

 

5

一番賢明で簡単な解決は、その不安はとり除けないのだと知ることだ。どうにかしようとしない、不安を不安のままほったらかしにして、できればその不安で遊べてしまうくらいになるのが望ましい。逆に一番愚昧で解決から遠のくのは、目の前のすぐ手の届く何かに依存し、その不安から逃れようと目を背けることだ。目を背ければ背けるほど不安は増幅し、その大きい不安に押しつぶされて、ますます依存から抜けられなくなるという悪循環に陥る。

 

 

6

生きているのだから、不安になるのなんて当たり前である。時々周りの人や何かの幸運で一時的に不安が消え去ってくれることがあるだけで、金輪際現れないなんてのは無理な話だ。その時々に外から与えられる安らぎに助けられながら、不安とは仲良くして生きていく他ないのである。死は必ず来る。それは避けられないものだから。どうか、無理に取り除こうとしないで。

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