底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

正しいことを書きましょう

笑えない

書きましょうとは書いたが、さて、何を書きましょう。困ったことに最近何も考えていないですからね。別に考えたことだけしか書いてはいけないなんてルールはないですけど、やっぱり考えた実りあるものを書いていきたいじゃないですか。お前程度の頭で考えたことが実りあるものとか笑わせんなと言われれば、もう大いに笑っていただく他ありません。

 

 

善悪

しかし実りあるものとは何なのでしょう、何が実りになるのか、それはやはり人それぞれでバラバラなのでしょう。私の書く文章が誰かの実りになることは、なくはないはずである。しかし逆に誰かにとっては全くなんの実りにもならず、むしろ害悪であるといったこともままあると思います。その時、私は実りがあるという人のために書き続けるべきなのか、はたまた害悪であるという人のために書くことを中断すべきなのか。これは全くもって微妙な問題である。あるものが、誰かにとっては善であり、誰かにとっては悪である時、一体どちらの立場にたって考えるべきなのか、人はいつもそれをケースバイケースで必死に考え、その都度で答えを出してきた。現実にある善悪などは所詮そんなものでしょう。

 

 

私の美学

人には善悪以外にも基準があるのは明らかです。美醜であったり正誤であったり、そういったものは善悪とは独立に存在している。美であるが全くもって悪だということは普通にあり、誤であるが全くもって善だということも普通にありえるお話です。この事実は、しかし私の美学に反しています。いやお前の美学の話なんて知らんわという人はここでブラウザバックをお願いします。私は正誤と善悪が一致していないことがあまり好きではありません。正は常に善であり、誤は常に悪であるというのが理想です。なぜなら、その方が美しいからです。正が悪として糾弾され、誤が善としてもてはやされる世界は、見ていてとても気持ちのいいものではありませんので。

 

 

無理

その理想のために書いているなんていうのは嘘っぱちですが、私の書いたことが少しでもその理想を叶えるものになればいいなと思うのは本当です。だから私は本当の正しいことを書きたいと思っています。思っているだけで、まだまだ実現はできておりませんが。正しいことを書くというのは当たり前ですがすごく難しことです。それは正しく世界を認識する力と正しくそれを言葉に落とし込む力の両方があって初めて成し得るものですが、残念ながらそんな素晴らしい能力はどう考えても私にはありません。鍛えて、せめて身の回りの物事だけでも正しく記述したいところですが、それも死ぬまでにできるかどうか…。

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