底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

全部魚の骨のせいです

1

魚の骨が喉に刺さった。たったそれだけのことが今日の私の全てをダメにした。そして、今もそれは喉につっかえたまま、じわじわと私を苦しめている。別に痛くも痒くもない、ただ唾を飲み込む時に何かがそこにあると感じてしまうだけのことが、気になって気になって仕方ない。はぁクソッ。お昼に鮭なんか食うんじゃなかった。そこから私の一日が狂い出した。仕事中も、帰りの電車の中も、家に着いて今これを書いている時も、魚の骨気になる〜〜〜!!ずっと頭の中それだけだ。もう許してくれ。

 

 

2

ほんの些細なことで、その他の全部がダメになっていく。人生のあるあるですよね。人から見たら、そんなことで?と思われるような、小さな小さな出来事で、何もかもを投げ出してしまいたくなる、そんな時ってきっと誰しもあると思う。なぜそんな些細なことでって自分でもよく分からない。うまく説明できない。でも、やはり全部がダメになったのは事実で、胸が一層締め付けられる。自分の脆さと弱さを思い知り、つい自己嫌悪の沼に足を絡めとられる。

 

 

3

全てがダメになっても、この記事だけは書き切ってやる。今はそんな思いで書き進めている。魚の骨ごときで筆を折ってたまるか。一日の中でこれだけはやり遂げる、そういうことを一つ決めておくと、脆い弱い自分の支えになるような気がする。もちろんやり遂げられたら、という話ですが。あぁよかった、自分のやり遂げると決めていることが、ブログを書く程度のことで。しかも別に内容も自由だし。ただ思うがままにここに言葉を並べるだけで、私は私を認めていける。自己嫌悪の沼に沈まなくて済む。

 

 

4

一度倒れると、人は次から倒れない方法を考えようとする。どうしたら倒されずに済むのかと、そういうことばかりに一生懸命、頭を絞る。けれども、倒れるか倒れないかは結構運次第である。どんなに万策を練っても倒れる時は倒れるし、何も考えていなくても、倒れない時は倒れない。大事なのは倒れないようにすることではない。倒れても立ち上がれるようにすること…でも実はない。倒れていても平気と言える状態にしておくことなのである。倒れていながらでもできることはあると気づけばいい。どんなに倒れていて全部がダメ時でも、その中でやれることは確実にある。淡々と着実にそれをこなしていきましょう。無理のない範囲で少しだけ無理をする。頑張るとはつまりそういうことなのだろう。こんな散文(文字通り散らかった文章)でもいいのです。書きとげたということが私を救うのだから。あぁ寝て起きたらどうか魚の骨なくなってますように。

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