底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

したいのにやり出さないことについて

1

本を読むという話をしてから私が捲ったのは結局2ページ程度でした。働いていると本が読めないなんて話をどこかで聞いたことがありますが、自分もそうなのかなと一瞬頭を過り、考えてみました。うーん…なんだかしっくりこないんですよね。だってもし働いていなかったら本を読んでた?と自問してみると、してるところがあまり想像できない。たぶんそうではなくて、ただ今の私にとってそれほど他人の言葉が必要ないだけなのだと思う。ブログは書けるようになったわけだし、疲れて体力や気力がないから読めないのとはやはり少し違う感じがするのだ。

 

 

2

したいことなのに、自分がなかなかやり出さない時、ついそこには原因があると考えがちになる。現実的に何かによって阻害されているからやり出すことが「できない」のだと捉えてしまう。そして、できない原因として引っ張ってきても特に違和感のないものが見つかると、そこに当てはめては自分を納得させようとする。時間がないから、お金がないから、体力がないから、できない。本当はしたいのに、自分にはできる条件がないからやり出せないんだと、仕方なく諦めているのだということにして、別に誰かから責められているわけでもないのに、そんな言い訳を用意してしまう。

 

 

3

きっと答えはもっと単純なのだと思う。なぜやり出さないのか、それはできない云々ではなく、そもそも自分がそこまでしてしたいと思っていないから、でしかないのではないか。したいけど実際に行動に移してやり出すほどではないことって別に誰しもいっぱいあるはずだ。それを矛盾に感じ、自分の内に抱えていることが落ち着かないから、つい人はやり出さない原因を探してしまうのかもしれないが、そもそもそれは矛盾でもなんでもなくて、ただしたいと思う熱量の問題なのである。

 

 

4

したいと思う熱量が増していけば、自ずとやり始める。自ずとやり始めていないということは、そこまでの熱意を持ってしたいと思っていない。ただそれだけのことではないだろうか。ただそれだけのことがそれだけでなくなるのは、人間には自分のしたいことと、理想の自分のしたいことの区別が往々にしてつかないからだと思う。理想の自分ならこれをこれくらいしたいと思うはずだということを、今の生身の自分のしたいことにカウントするから話がややこしくなる。生身の自分をそのまま観察しよう。すれば、やり出さないのはただ今の生身の自分にとって、そこまで切実な欲求でないだけだと気づくはずである。

f:id:kabiru8731:20240602035743j:image