底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

【今週のお題】確実にお寿司の話はしていない

はじめての【今週のお題

本日は夜中の2時にネットカフェから文章をお届けしています。さっき夜食を買いに外に出たら、少し前まで雨が降っていた痕跡があった。朝出るときは降らないといいな。ブログ初心者、初めて今週のお題なるものがあることを知る。「握ったり、回ったり」と表示されているのはお寿司のことか。てっきりぐるぐるバットの話かと思っていた。お寿司か、お寿司に関する思い出なんて皆無だな、、、。というか人生に思い出そのものがないな、、、。

 

 

思い出と記憶の違い

思い出と記憶の違いって何だろう。お寿司に関する記憶ならあるが、それを思い出といってよいのだろうか?なんだか違う気がする。あまりに機械的すぎるだろう。個人的な感覚だが「記憶+当時の感情=思い出」がとてもしっくりくる。でも当時の感情を思い出すってどういうことだ?思い出すという機能は、記憶にしか果たせないだろう。それ以外に人間には思い出す手段などないはずだ。しかしそれなら上の等式は「記憶+記憶=思い出」になるではないか。記憶と思い出にはやはり違いはないのだろうか?そうではないだろう。この結論はやはり大きく直観に背いている。

 

 

「ありありと」がポイント

では違いをどう紐解けばいいのだろうか。そのポイントは「ありありと」とか「リアリティ」にある気がする。つまり、思い出せることの中でも、今まさにそう感じているのだ!と感じられるほどに強烈に感情と結びついているのが思い出で、当時の感情をただの情報として思い起こすのが記憶なのではないだろうか?

 

 

どうしてそう言えるの?

しかし、それでもやはり謎は残る。謎とはもちろん「ありありと」の基準である。過去はもうどこにもないと以前の記事でも書いた。

shikouzakki.hatenablog.com

つまり「ありありと」には外側の参照物はない。実際の過去と照らし合わせて確かに「ありありと」思い出しているな〜と比べてみることはできない。「ありありと」さは全て内側の感覚に支えられている。それなら、どうしてその感覚が「ありありと」思い出していることを「表している」とわかるのだろうか?それに、どうしてその感覚があるからと言って、思い出は記憶よりも鮮明に覚えているということになるのだろうか?

 

 

知ってた

そんなものに答えはない。答えがないことこそが答えなのであろう。なぜだか知らんがそうなっている以上の理由はないという他ない。なぜだか知らんが私はそれが過去の感情の再現であると確信しているのである。それは「最初から」そうなっているのだ。

 

 

人生なんもねぇ

私にはその意味で「ありありと」思い出せる思い出なんて全然ない。そもそも記憶力が悪いのに加え、何をしている時も上に書いたようなことばかり頭の中で考えている。そのせいか、およそ思い出せる全ての過去が色あせた他人事の情報としてしか私には出現しない。なんとつまらぬ人生か。

 

 

今週のお題「寿司」

 全然お寿司の話しとらんがな。

f:id:kabiru8731:20210715024711j:image