底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

家に帰るのが嫌いという話

家が嫌いだ

家というものが嫌いだ。家があることで、私には二つの面が生まれる。即ち、家にいる自分と外にいる自分とに分離するのである。玄関でそのスイッチの切り替えをしている時の自分なんか、本当に嫌いでたまらない。外には絶対的な人の目がある。家にはそれがない。外と家の一番大きな違いはそれである。その違いを違いとして激しく気にしている自分がいる。つまり私は、人に見られているか否かで、その時々の行動を変えてしまうような軽薄な人間であるということだ。

 

 

統合したい

外にいる自分と家にいる自分を統合したい。これは私が結構長い間考えている課題の一つだ。未だ現実的な方法は見いだせていない。とりあえずお金と時間が許す限りはできるだけ外にいる。現状はずっとそうして誤魔化している。やはり生活などを考慮せずに言えば、家というものを取っ払ってしまうのが最も手っ取り早い解決策だろう。でもそんな勇気は私にはない。だから物理的な手段は諦めて、精神のみにおいてその統合を試みているのだけど、全然うまくいかない。家につくとやっぱりほっとして、外にいくとやっぱり意識してしまう毎日である。

 

 

帰るも嫌い

家に関連して、「帰る」という行為も私は嫌いである。帰るを軽く辞書で引くと、その意味は「本来の場所・状態に戻る」と書いてある。この「本来」がどうしても気に入らない。今ここにいる自分にとっての本来とは常に今ここでしか有り得ない。それなのに、家があると、今ここ以上の本来がそこにあるような感じがしてくる。自分の存在そのものが家に引っ張られて、自由を失うのである。

 

 

叶わぬ夢

放浪者になりたい。家からも帰るという行為からも解放されて、常に今ここにいる裏表のない自分を楽しみたい。それが私の、おそらく一生叶うことのない夢である。結局、家に守られている安心感を捨てられないからね私は。軽薄な上に卑怯なのである。本当にどうしようもない奴だよ。

 

 

弱いな

全ては家にいる自分と外にいる自分を一つに思えない己の弱さが招いた結果だ。外にいる自分が鎧を着ているようなイメージだから、鎧の下こそが本当の自分なのだという捉え方を安易にしてしまう。その鎧を着せているのだって自分以外の何ものでもないはずなのに。頭では分かる。でもやっぱり心の底からそれに納得するのは難しい。鎧は私にとって着たいものではなく、着なければいけないものだから。着なければ生きていけない、それだけのために着ているから。そう考えても、やはり脱げる場所をなくしてしまうのが一番理想的なんだけどな。

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