底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

誰も自分のことを知らなければいいのに

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誰も自分のことを知らなければいいのに。そんなことをふと思う時がある。誰も私がどこの誰でどんな過去を歩んできて、今どんな生き方をしているのか、何もかも知らなければいいのに。そうしたら私はどんなに自由で、どんなに軽やかか。とまぁ思うのだけど、しかしどう考えてもこれは、現に自分を知ってくれている人がいるからこその戯言だ。誰も自分を知らないという恐怖を経験していないからこその妄想だ。きちんと考えれば、それが良いものでないのはちゃんと分かる。誰も自分を知らないなら、この世に自分の居場所なんてないですからね。

 

 

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でもやはり思うのだ。誰も自分のことを知らなければいいのにと。別に恥じる過去や生き方があるから知られたくないというのではない。もちろん、そんな過去や生き方がないとは言わないが、それだから知られたくないのではなくて、ただ一人の人間として認識されたくないだけである。その他大勢のように扱われ、素知らぬ振りで横を通り過ぎて行って欲しいのだ。一人の人間として存在するのは酷く疲れるから。たまにはそれを脱ぎ捨てたいのである。内に抱える矛盾も突然の感情や欲求の表出も、一人の人間として許されることではないから。

 

 

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そういう意味で、私は常に人に対して寛容でありたいと思う。人は誰しも内に矛盾を抱えているし気まぐれで不可思議な存在だから、その人の言行に「どうして?」と思うようなことがあっても、疑問を本人にぶつけることなく、自分の中で消化するようにしたい。前はこう言っていたのにとか、急にどうしたんだとか、行動や考えの意味が分からないなとか思っても、まあそういうこともあるよねと全てを緩やかに捉え、どうしても納得したい時には、納得のいくまで自分の頭で考える。相手の存在を自分の納得できる範囲に収めるのではなく、自分の納得できる範囲を相手の存在にまで広げるイメージで、そっと包み込んでいきたい。

 

 

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人が共同で生活するにあたって、そうであってもらっては円滑に関係を築けないので困るということが世の中にはたくさんある。でも元々そうであるものはそうであるしかできないから、そうであってもらっては困ると言われてもこちらこそ困るということが個人の方にもたくさんあるだろう。人を困らせたくないので普段知っている人の前ではそれを出さないが、しかしずっと出さずにいると今度は自分がほとほと困ってしまう。だから時には、人を困らせず自分も困らずの、誰も自分のことを知らなければいいのに、という状態になりたいのだ。

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